僕は過去2回のレポートで、米国経済は熱過ぎず冷め過ぎでもない「適温経済」であり、金融政策の変更は当面ないだろう、それが株式市場にとって非常に好ましい環境だと述べてきた。ところが先週末のジャクソンホールでケビン・ウォーシュFRB議長は想定以上のタカ派的な姿勢を示し、市場の雰囲気は一気に9月利上げに傾いてきた。僕がかねて述べてきた「ゴルディロックス(適温経済)が株高の条件を整えている」という相場観は、明確な挑戦を受けた格好である。

ジャクソンホールで何が起きたか

8月28日、ジャクソンホール会議でウォーシュFRB議長は、基調的なインフレ率が十分な速度で目標へ向かっているという確信を持てないなら「まだやるべき仕事がある」と述べた。今年5月の就任以来、事あるごとにFRBの「新しい章」を語ってきた議長の、これが最も鋭い咆哮である。市場はこれを想定以上にタカ派的と受け止め、9月15-16日のFOMCでの利上げ織り込みは5割を超えた。米10年債利回りは2.9%台半ばへ急伸し、ドル円は160円台へ、半導体株を起点に株式は調整した。

タカ派姿勢はポーズである

第一の論点。まず、ウォーシュという議長の「型」を見ておきたい。就任以来、彼は公の場に立つたびに「新しい章」という文学的比喩(英誌「The Economist」の表現による)を繰り返してきた。これまでのFRBとは違うのだ - そう市場と政治と家計に印象づけるためである。ところが、実際の就任後数ヶ月を特徴づけたのは、新しさではなく継続性だった。1年前、パウエル前議長のFRBが直面していた構図、すなわち関税に押し上げられた目標超えのインフレとぐらつく雇用統計との板挟み、そこに重なるホワイトハウスからの圧力は、今日ほとんどそのまま再現されている。語られる物語は「新章」、進行している現実は「前章の続き」。言葉が現実に先行する、というのがこの議長のスタイルなのだ。ジャクソンホールのタカ派発言も、まずこの文脈で読むべきである。

その上で、発言そのものを見よう。ウォーシュ議長の発言は、コミットメントではなく条件文であることに注意したい。「確信を持てないなら、やるべき仕事がある」 - 裏を返せば、確信が持てれば何もしない、という留保付きの構文である。中央銀行総裁が本当に利上げを決めているとき、こういう言い方はしない。これはオプションを温存したまま、言葉だけで金融環境を引き締める「口先引き締め」の典型である。

なぜポーズが必要なのか。答えは債券市場にある。米30年債はなお不安定で、財政懸念を背景に長期金利の信認回復は途上だ。インフレ・ファイターとしての評判を言葉で積み増すことは、タームプレミアムとインフレ期待を抑える最も安上がりな政策手段である。実弾を一発も撃たずに長期金利のアンカーを打ち直せるなら、中銀にとってこれに勝る取引はない。

もう一つ、見落とされがちな制約がある。日米は7-8月に総額15兆円という過去最大の協調円買い介入を実施したばかりだ。その直後に実際の利上げでドル高を加速させることは、自らの通貨外交と矛盾する。

そして最大の制約は政治である。トランプ大統領は機会あるごとに利下げを要求している。クックFRB理事の解任を巡る争いは、6月に最高裁がFRBの憲法上の特異な地位を理由に解任を差し止めた後も、ホワイトハウスが解任検討を撤回しない形で燻り続けており、FRBの独立性そのものが係争中だ。この環境で利上げを重ねれば、政権との全面衝突は避けられない。つまりウォーシュ議長にとって、タカ派的な言葉は市場に独立性とインフレ・ファイターの信認を示すために自由に使える唯一の武器であり、実際の利上げは政治的に最も高くつく選択肢なのである。

表面上のポーズ(つまり「口先」)ではタカだが、実際にはノー・アクション。それが債券市場・通貨外交・ホワイトハウスの三方向と同時に整合する、ほとんど唯一の均衡だ。

データからは利上げできない

第二の論点。仮にポーズでなく本心だとしても、現実の指標が利上げを許さないだろう。

まず労働市場である。7月の非農業部門雇用者数は2.3万人の減少と、パンデミック期を除けば異例のマイナスに沈み、過去分も大幅に下方修正された。ISM非製造業の雇用指数は47.4と縮小圏にある。8月分の市場予想(+5.5万人)はマイナスからの反動にすぎず、水準としては雇用創出がほぼ止まっていることを意味する。雇用が減っている経済で利上げに踏み切った中央銀行を、僕は寡聞にして知らない。

図表1:非農業部門雇用者数の推移
出所:米労働省労働統計局よりマネックス証券作成

次にインフレである。ここは正直に数字を見よう。7月のCPIは前年比+3.4%、コアPCEは+3.3%。この「水準」だけ見れば利上げ論に理がある。しかし中身を分解すると景色が変わる。上振れの主役はエネルギーと、関税の店頭転嫁が進むコア財であり、サービスを含むコアCPIは+2.5%と目標圏を視野に入れた水準まで下がっている。総合3.4%とコア2.5%の乖離こそ、足元の物価上振れが原油と関税という供給側・相対価格のショックであることの証左だ。前年比は過去12ヶ月の遺産であって、政策が反応すべきは「方向」である。コアPCEの前月比+0.2%を年率換算すれば2%台半ば。直近のモメンタムはすでに目標圏に近い。教科書が教える通り、供給ショックにはルックスルー(look through)が正しい処方箋であり、引き締めで応じれば需要まで殺してしまう。

図表2:米CPIとコアCPIの推移
出所:米労働省労働統計局よりマネックス証券作成
図表3:米CPI前年比(季節調整前)寄与度
出所:ブルームバーグよりマネックス証券作成
※前年比消費者物価指数

以上を踏まえれば、9月FOMCの利上げ確率5割超という市場の織り込みは、口先引き締めの「成果」を実際の利上げ確率と取り違えた過剰反応だと考える。

よって、次回FOMCの僕のメインシナリオは「据え置き+タカ派声明の維持」だ。

まあ、「メインシナリオ」というのは、いくつかあるシナリオのなかで最も確度が高いもの、という定義なので、外れるときは外れる。9月に利上げがあったら、素直に「ゴメンなさい」だ。

サブシナリオ:威嚇射撃としての一回

では、サブシナリオの「利上げ」とはどういう状況か。その場合の利上げは、景気の過熱を冷ますための金融引き締めとは性格の異なる、いわば「威嚇射撃としての一回」だと僕は解釈する。中央銀行の信認は、言葉だけでは完全には買い戻せない。言葉の裏に実行の意思があると市場に信じさせる最も効率的な方法は、一度だけ実際に手を動かして見せることだ。加えて、クック理事問題で独立性そのものが係争中の議長にとって、ホワイトハウスの利下げ要求に真っ向から逆らう一回の利上げほど雄弁な独立性の証明はない。つまり動機は物価でも景気でもなく、信認と独立性を「見せる」ことそれ自体にある。

だからこそ、それは一回で止まる。第一に、見せるという目的が達成された瞬間、続ける理由が消える。第二に、雇用が減少している現実のデータが二回目を正当化しない。第三に、政権との衝突コストは回を重ねるごとに膨らむ。なお、FOMC内にはすでに利上げを主張する反対票が複数出ている。議長の言葉が委員会内の実際のタカ派を勢いづかせ、威嚇射撃のつもりが連続利上げへと流されていく - それがこのサブシナリオの中の最悪形であり、留意が要る。見分け方も書いておこう。声明文とドットチャートが先行きの追加引き締めを示唆せず、反対票がむしろハト派側から出るなら、それは威嚇射撃である。その場合、株式市場の初期反応が売りであっても、「これで打ち止め」との認識が広がるにつれて相場は底入れしやすい。歴史的にも、利上げ局面の最後の一回は株式の買い場となってきた。投資家が本当に恐れるべきは一回の利上げではなく、連続利上げの示唆のほうであり、両者の判別こそが9月の仕事になる。

その意味で、9月FOMCに先立つ最初の審判は、今週金曜に発表される8月の米雇用統計である。マイナスからの反動増という市場予想(+5.5万人)を大きく上回り、平均時給の伸びまで再加速するようなら、本稿の分は悪くなる。まずはそこを見たい。(その場合もまた「ゴメンなさい」だけど)

結論

ウォーシュ議長のタカ派姿勢は、債券市場の信認を言葉で買い戻すためのポーズであり、雇用の減速と鈍化するインフレ・モメンタムという現実は、連続利上げを許さない。ゴルディロックスは変わっていない。したがって、目下の株価調整は強気相場の終わりではなく、押し目買いの好機である。