イラクの邦人人質事件、金曜日にもつぶやいた通り3名の無事を祈るのみですが、この数日間の本件に関連する世論の状態については、中々考えさせられる点があります。
最も注目すべきことは、インターネット上に於いて本件に対する多数意見が作られる過程とスピード、その内容と、新聞・テレビなどの公共のメディアに於いてのそれとの間の大きなギャップです。これが同じ国かと疑わずにはいられないほど、この2大メディア(インターネットと新聞・テレビ)での情報・論調・多数意見には違いがあります。
私は敢えてどちらの内容を支持するかはコメント致しません。重要なのは、その内容ではなく、これだけ国全体の注目を集め、もしかすると我が国の将来に影響を与えかねない事件に関して、充分、オープンに、言質を取られずに、自由に、公の場で議論がされているかということです。日本はどうも、どうでもいいことは公共の場で、喧々諤々と議論がされるのに、本当に大切なことは、表では議論されないという、とても不思議な、或る意味ではとても危険な文化を内包している気がします。複雑な問題ですが、この問題を解決していかないと、言論先進国にはなれないのではないでしょうか。
(ところで、フセイン捕獲の時と同様、今朝も新聞休刊日であり、実際に一般紙が発行されていないことに大きな驚きと、怒りと、落胆の混ざった複雑な感情を持っています。言論二流国と言われてもしょうがないでしょう。新聞休刊日の撤廃、少なくとも新聞休刊日に関する私企業の判断を尊重する体制の樹立を切に願います。)