昨日は装丁についてつぶやきましたが、そこでもちょっと触れた「活字」について、もう少し考えてみました。かつて−昭和30年代頃まで−の活版印刷に使われていた活字は肉厚で味のあるものでした。単にカタチが美しいだけでなく、情感というか、文字情報以外にも何かを伝達する力が−或いは雰囲気が−あったと思います。しかし昨今は、本の活字が写植で素っ気なくなったばかりでなく、一般にデジタル化が進み、手紙もワープロ、ニュース情報もネット上であくまでも「テキスト」として摂取することが増え、中には文学作品もネットで先ず展開というのもあります。要は文字情報のほとんどが味のないテキストになってしまった訳です。そうなると、そういう文字ばかりを読んで育つ現代っ子は、表現方法とか表現内容も淡泊になっていくのでしょうか?或いは逆に、見た目で表現できる部分が減るだけ、表現方法・内容は多彩に、且つ濃くなっていくのでしょうか?3年ほど前に「行間」というつぶやき(2001年4月12日−マネログでも、サイト内検索でも、簡単に探せます)を書きましたが、この文字や語彙と表現の関係は、何とも複雑なものです。