私はアスリートではないので、陸上競技者の体と心のトレーニングの厳しさ、そして本番で力を発揮することの難しさを知りません。
しかし傍観者として見ているだけでも、マラソン、特に女子マラソンのそれらは、私の想像を遙かに超えるものがあるように思えます。最近国内で行われた男女それぞれのオリンピック代表を選考するレースでは、どちらもルーキーが華々しい優勝を飾りました。一度頂点に立った女子マラソン・ランナーの苦悩は、ポーラ ・ラドクリフの嘔吐・棄権・号泣、云々が印象に強く残っていますが、彼女はその後復活を成し遂げました。何がそうさせるのか?プライド?
いや、そんな一言では表現しきれない、強い執念とデリケートなものと云う相反するものが混ざり合ったような、とても人間臭いものを感じます。これはマラソンに限らず、何事に於いても頂点に立った者の一部が抱える、葛藤なのかも知れません。止めさせることが出来るのは、自分自身だけであり、止め方−スタイルを決めるのも、自分自身だけである。その意味では、指導者を持たず、全てを自律しなければいけないチームQの体制は、当然の帰結なのかも知れません。彼女の胸中は誰にも分かりません。
しかしかつてのチャンピオンが未だ走ると宣言する時は、誰に迷惑を掛けるでもないし、私はその姿勢を尊重し、応援したいと思います。