都内では既に梅の花が咲き始めている筈ですが、桜と違って目立たないので、うっかりすると咲き終わってしまいます。梅はやはりその姿よりも、香りで魅了する花なのでしょう。あまり梅の花が咲いてそうなところを歩くことがない私は、空気に触れていないので梅の花に気付かず、じきに咲き終わってしまうことがあります。

今時は神社に行くのが一番簡単な梅と出会う方法で、大体の神社の境内は、どこかに梅が咲いているものです。姿には気が付かなくとも、その香りが身体の回りを包みます。古今集を見ても、梅の香を詠んだ歌は多くあります。咲き始めの梅の香は強く、ツンと来るもので、刺激的であり、咲き終わる頃の梅の香は、どこかに懐かしさが漂います。

古今集の中で、散り際の梅の香を詠んだ歌では、

「散りぬとも 香をだにのこせ 梅の花 恋しきときの 思ひいでにせむ」
が有名ですが、咲き始めの梅の香については、こんな歌もあります。

「梅の花 立ちよるばかり ありしより 人のとがむる香にぞしみぬる」
−梅の木の側にちょっと立ち寄っただけなのに、たちまちその香りが染みついてしまい、誰かの香りと思われて咎められてしまった。差し詰め、若い女性の匂いが付いてしまって怒られた、と云うような状況を前提に梅の香を詠んだものでしょうか。

確かに今頃の梅の香は、そのような尖り方と云うか若さがあります。或いはこの歌は、梅の香にもじって、女性との三角関係を詠ったものでしょうか。桜はその狂おしい光景が心を惑わし、梅はそのえも云われぬ香りが心を惑わすのでしょう。香りが飛ぶ前に、梅の元へ行きたいと思います。