古今集に収められた業平の歌、『月やあらぬ 春や昔の春ならぬ わが身ひとつはもとの身にして』は、解釈に色々な広がりがあって、素敵な名歌だと思います。もちろんこの歌は、恋の歌です。しかし恋に限らず、なべて人間の性質を、或る意味とても的確に云い当てていると思います。
私はお酒を飲むと昔話をするクセがあります。必ずと云う訳ではなく、相手にも依りますし、時期的にもそのクセが濃厚な時期と、殆ど出現しない時期があり、バイオリズムのような波を打っています。しかし恐らく着実に、小波を打ちながらも、大波は徐々にクセが強くなってきているでしょう。それは或る意味で当然です。人間生きていれば様々な経験をし、”昔話のネタ”が増えていきます。
しかし昔話は基本的によろしくないと思います。月も、春も、今は昔の月や春ではありません。ましてビジネスを取り巻く環境など、毎年どころか毎月、毎日変化しています。そんな中で、昔話をしながら自分だけ”もとの身”でいることになんの意味がありましょう。意味がないどころか、それは悪です。
業平の恋歌にしても、心情はよく分かりますが、そして歌としては限りなく美しい歌ですが、コンセプトとしてはいじけた、後ろ向きな感を拭えません。少なくともビジネスに関わる状況では、お酒を飲んだら業平の歌を思い出し、昔話は恥ずかしいこととして、なるべく話さないようにしたいと思います。