私は嘗て英語がとても苦手でした。今も、世間的には得意な方に分類されるようになったかとも思うのですが、自分としては引き続き大きな弱点で、コンプレックスを感じています。嘗て、なんとか一応のコミュニケーションが出来るようになった頃、当時の会社の同僚や上司に、「英語上手いね。」と云われ、私が「いや、英語では自分の考えていることの70%しか表現できないんだ。」と返すと、「ノー、ノー、ノー。お前の英語は完璧だよ。100%理解できるよ。」と答えられ、自分の70%をして100%と認識されていることを知り、なんとも悲しいと云うか、無力感を憶えた日々を今でも鮮明に憶えています。
そしてその気持ちは、今でも基本的に変わりはありません。週末にマーク・トウェインの短編集を買いました。ペーパー・バックの、簡単な内容のもので、アメリカ人であれば恐らくみんなよく知っている話であり、小学生でも読める本でしょう。しかしたった3ページくらいの短編の中にも、5つぐらいは知らない単語が出てきます。これが私の実力です。話し言葉であれば、日常生活で使う言葉の延べ使用数の中では、恐らく知らない言葉は1%程度で、ユニーク単語数で云うと、直感で云って3%ぐらい知らない言葉があり、普段はアメリカ人は使わないが必ず知っている言葉で、本の中や、或いはちょっと畏まった場面、スピーチやちょっと気を利かせたことを云う場合に使う言葉となると、さぁどうでしょう、10%ぐらい知らないと思います。この少し知らないことが、人の雰囲気、重み、味、云々に、多大な影響を及ぼすと思うのです。科学の難しい話や、文化や、哲学的な話、或いは古典の教養に亘るような話になると、語学力は一気に50%を下回ってきます。
しかし人の大切なニュアンスは、そんなところにあるものと思われるので、そこが一切切り落とされてしまうと、かなり寂しいものがあります。時間を見つけては先ずはマーク・トウェインを読み、現地小学生程度の単語力は養っていきたいと、そう思っています。まぁそんな重苦しいことを考えを抜きにしても、マーク・トウェインの短編は掛け値なしに面白いものです。私はやんちゃが大好きなので、そんな思いを想い出しながら、少しずつ読んでいきたいと思います。