私の最も古い男性の知人の母校である浦高(埼玉県立浦和高校)に週末行ってきました。文化祭での講演を頼まれたからです。私の生まれ育った場所の近所であり、もちろん馴染みはあるのですが、校内に入ったのは初めてでした。校長室に通されると、遠い過去を想像して、緊張とまでは云いませんが、ちょっと居心地の悪い気がしました。男子生徒1000人の前で1時間ほど話したのですが、終わってから北浦和駅前まで歩き、娘々(にゃんにゃん)なる、昔懐かしい店でラーメンと餃子を食べました。

嘗ての店は、もっと駅の近くにあり、私のまさに最も古い知人(女性)と行った記憶があるのですが、火事かなんかで数年前に100メートルほど移転していました。先ずは餃子。まるでワンタンのように柔らかい餃子です。「こんなに柔らかかったかなぁ?」次にラーメン。これも麺がかなり柔らかめです。「こんなんだったかなぁ?」疑問を持ちながらも美味しくお昼を食べ、そのあとプラプラと懐かしい町を歩きました。

私の行った黎明幼稚園はまだありましたが、梅若幼稚園はなくなっていました。自宅のすぐ脇の市立高校は、市立中学&高校になっていました。もちろん校舎の数は変わりません。同じキャパシティの中に、倍の学年を入れていることになります。嘗ての町内は、いつでも当時の私のような子供達が大勢、通りで遊んでいましたが、子供の姿は一切見ませんでした。嘗て流れていた天王川は全て暗渠になり、その遊歩道はガラガラで、たまに御老人が歩いていました。嘗ては小さな駄菓子屋がところどころにあったのですが、その多くはただの民家になっていました。星新一のSFショートのように、そこはタイム・スリップした、老化した町でした。そう云えば娘々も、満員だったのですが、おじいちゃんが多くいました。何もかも柔らかかったのはその所為でしょうか?駅前のおもちゃ屋「おとぎや」は健在でした。

しかしそこも、嘗てはいつも子供達で鈴なりになっていた店内が、妙にガランとしていて、女主人が所在なさ気に奥に立ってこっちを見ていました。天気のいい日でした。故郷は胸を締め付けるような郷愁に溢れていましたが、その暖かさは、穏やかすぎる穏やかさでした。