昨日は新月、月のない晩でした。

「月見れば ちぢに物こそ 悲しけれ わが身ひとつの 秋にはあらねど」                    (古今集秋歌上 大江千里)
古今集の時代には、月を見て悲しい気持ちになるのは、一般的なことだったようです。しかしそれは月が悲しいからでしょうか、それとも夜が悲しいからでしょうか。そして月のない晩は、人は何を感じるものでしょうか。私は物事を決める時にひとつ大きな鉄則を持っています。それは、人生で重要な決断は、決して夜にはしないこと。お天道様の出ている、明るい昼間にすることにしています。悲観の中よりも楽観の中に、良い考えは宿りやすいと思うからです。
或る人は昨晩、一体何を思ったのでしょうか。私はやはり、敢えて云わせて頂くならば、無責任なことだと思います。しかしことは単純ではないかも知れません。このようなことが起きた背景には、私たちの無関心とかそう云ったことが、ボディ・ブローのように、永田町の質の劣化をもたらしたのかも知れません。1週間後の月は、私たち国民にはどう映っているでしょうか。