筆者は転ばぬ先の杖という言葉が好きだ。時々ビジネスシーンでも使う事がある。危ないなと思った時に先回りして動きを止めることがある。動きを逆回転させることもある。これはリスク管理というより危機管理だとある人は言う。
例えて言えば、冬山登山に似ている。冬山登山というリスクをとって挑戦しているのだが、急激な天候悪化に遭遇して頂上アタックをあきらめる事である。無理して遭難事故を起こしたら二度とアタックできなくなるのを体で覚えているのであろう。
筆者も幼少の頃から家業が何度か厳しい状況になり、幼いながらに事業の怖さを味わった。そのお陰で、金融人として1987年のブラックマンデー、1998年の日本の金融危機、2008年のリーマンショックと大きな危機的な状況を目の前にしてきたが、あまり動揺せずに乗り越えられたのだと思う。その心得はいつも「転ばぬ先の杖」であった。それは経験のなせる業のように思う。
前置きが長くなったが、今回の各国の新型コロナウイルス感染症対策を見ていると各国政府・そして市民としての経験値の差が被害拡大を食い止める結果の差を生んでいるような気がする。
我が街香港は、2002-3年にかけてSARS-CoVというウイルス感染により1,755名の方が罹患し、内、亡くなった方は300名程度であった。中国南部に発生した感染病は世界32か国に広がり感染者数8,500人、亡くなった方800人超という被害をもたらした。我が街香港が世界の中でも最大の犠牲者を出したことは間違いない。今から18年前のことだ。
今、香港政府で活躍する長官クラスが、当時は40代半ばで事務方の一番の働き手として実務をこなして伝染病の怖さが身に染みてわかっていると想像される。それは政府のみならず産業界を始め各界の第一線のトップとして活躍する人たちも当時は組織の中堅として実務をこなしていたのだろう。伝染病に対してSARSの時に骨身にしみて怖さを経験した結果、香港の街全体の疫病危機管理が早め早めに動いている気がする。つまり、「転ばぬ先の杖」である。
以下2020年1月26日香港政府発表の日本語抄訳の抜粋である(日本語抄訳は在香港日本国総領事館によるもの)。
1月26日(日曜日)
1 26日時点,新型コロナウイルスによる感染症の当地感染例は,香港5例,マカオ2例です。
2 25日午後,キャリーラム行政長官が記者会見し、新型コロナウイルス感染症への今後の対応措置を以下の通り発表しました。(1)「公衆衛生の為の新型感染症への準備及び対応計画」の警戒レベルを「厳重(Serious)」から最上級の「緊急(Emergency)」に格上げし、行政長官直轄の委員会を設置する。
(2)航空路及び高速鉄道の武漢往来便を無期限停止とする。
(3)全ての出入境ポイントでの健康報告カードの提出を義務付ける。
(4)2月9日の香港マラソン、元宵節イベント、及び香港政府主催の春節期間内の行事を中止する。政府は民間団体に対して行事等開催時に公共健康の危険性を考慮するよう呼びかける。
(5)香港の全小中学校、幼稚園、特殊学校の春節休暇を延期し2月17日の開校とする。
つまり、1月26日時点での香港の感染者数わずか「5名」である。その時点で警戒レベルを最上級の「緊急」にあげている。既にその際、香港マラソンを始めとする全ての政府主催の行事を中止し、民間レベルの行事イベントにも注意を喚起し、学校も大学を除き全て休校にしている。
記事には2月17日に開校とあるが、本稿執筆時である4月7日現在の今も休校のままである。市民から学校休校に対して日本のように強烈な反対意見が出る事もなかった。そしてこの厳しい緊急レベルの中身は2か月以上経過した今、さらに細部にわたりレストランの運営形態まで指示が飛んでいる。
つまり1月に緊急事態宣言が出た後、第2波、第3波を恐れてその規制を大きく緩めることなく続け、最近は特に香港域外からの入境者制限を厳格化している。筆者もこの文章はWork from Homeで書いている次第だ。
結果、人口760万都市香港にて新型コロナウイルス感染症(COVID-19)で亡くなられた方は、現在4名である。人口1,200万都市東京が今30名。ニューヨーク・ロンドンは東京の10倍くらいの規模の方が亡くなっていると聞く。世界で罹患者数だけで言えば、香港は世界で65番目であり、先進国と分類される地域ではCOVID-19に関しては最も安全な街の一つである。
2003年のSARS禍にて世界で一番大きな被害を被った街「香港」はその経験値を十分に生かして政府・民間一体となって乗り越えようとしている。週末を控えた金曜日午後8時に医療従事者の皆さんを励ます拍手の音が街全体に響き渡るのを聴いていると心が和んだのは筆者だけであろうか。
4月7日夕方、日本では緊急事態宣言が日本政府から出されたが、香港に遅れる事2ヶ月以上である。