Nippon Wealth Limitedの成り立ち

筆者は有志たちと共に今から8年前の2013年8月にOJBC香港(現Nippon Wealth Limited)を設立し、香港で銀行業を立ち上げようと目論んだ。OJBCは、Oversea Japanese Banking Corporationの略称である。無論、シンガポールの3大銀行の1つであるOversea-Chinese Banking Corporation (OCBC)になぞって命名したのである。「国外に設立された日本の銀行」である。

2013年は経済のグローバル化が進み、日本人の海外移住や海外資産運用に対する関心も高まっていた。あるコンサルティング会社の市場調査によると、アッパー・マス・アフルエント(大衆富裕層上位)の3人に1人が海外での資産運用に興味を持っている、または既に実践しているという調査結果が出ていた。

我々もその調査結果に意を強くして2015年にOJBC香港からNippon Wealth Limitedという日本資産という大上段に構えた名称に変更して、「アジアナンバーワンの国際金融センター香港で日本人が安心して資産運用を行える銀行プラットフォームを作る」という理念の元、2015年4月に銀行免許交付を受けて事業をスタートさせた。今から6年前のことである。

香港上海銀行の軌跡

更に遡ること約150年前、1865年3月3日に香港上海銀行(HSBC)は開業していた。創業者の名前は、Thomas Sutherland(トーマス・サザーランド)。銀行経営など全く経験のないスコットランド人が香港と中国本土間で膨大な貿易金融取引ニーズがある事に気が付き、香港で銀行を興すことにしたのである。

香港に続いて1865年4月上海に拠点をオープンしている。1875年には既にアジア7ヶ国に拠点を持ち、中国からは茶と絹、インドからは綿、フィリピンからは砂糖、ベトナムからはコメと絹など、アジアの貿易を金融面で支え成長を遂げてきた。1900年代までには、16ヶ国に拠点を構え、世界の貿易金融を司る銀行へと成長している。

香港も1841年の時点で人口は約7,450人しかいなかったが、20世紀初頭には85万人にまで膨れ上がっている(因みに現在はその9倍の約760万人)。今の香港を彩る路面電車トラムの開業やスターフェリー運航スタートはその頃のことである。

20世紀にはいると、更に国策銀行的に鉄道建設などの資金を時の政府に対して融資していた。第一次世界大戦でその成長は一時期止まるが、戦後のアジア好景気に後押しされ、更に1935年には新社屋を完成させ「世界のベストバンク」を目指すとしていた。

しかし、第二次世界大戦で日本軍に香港が占領された時は、同行にとっても最も厳しい時代であった。多くの行員は大砲の弾薬が炸裂し、弾丸が飛び交う中でもしっかりと銀行業務を営んだが、香港が日本軍の支配下に置かれると、日本軍の下にHSBC本店は収容され、行員の多くは捕虜収容所に収容された。

戦争の傷跡残す2頭のライオン像

今でも香港のHSBC本店前にはライオンの像が2頭鎮座しているが、1頭にはライオン像のいたるところに穴が空いている。それは日本軍の銃撃で穴が空いたものであるが、戦争の傷跡を残す意味でも穴は当時のままの状態なのである。更に言えばそのライオン像は日本軍によって日本に搬送されたが、第二次世界大戦後の1946年に大阪の川崎重工造船所で米軍海兵隊員によって発見され、香港に戻ってきたという。

第二次世界大戦後、HSBCは買収を繰り返すことで持ち株会社の下に様々な業態の金融グループを形成しており、今では総資産もグループ全体で400兆円を超え、まさに世界のトップ10バンクの一角を占めるに至っている。現在、香港では中国銀行、スタンダードチャータード銀行と並び香港の3大発券銀行の1つとなっている。

HSBCは150年にわたり、香港経済とアジア経済を結びつけることで大きく成長を遂げ、世界のトップバンク入りを果たしている。香港は、アヘン戦争の後1842年の南京条約でイギリスの植民地となり1997年に中国に返還された。その間に1万人に満たない小さな漁村は約760万人を有する世界の金融センターへと成長し、アジアの貿易金融の中心となってきた。その成長を金融面から支えてきたのがHSBCであることには疑う余地がない。

今後の香港経済の行方

2019年から続いた反政府デモ、そして2020年の国家安定法施行などにより、欧米メディアは香港の将来に対して一様に悲観的な見方をしている。JardinesやSwireグループという植民地経済の象徴のようなコングロマリットの将来について黄色信号が灯っているという。

しかし、筆者はそれが植民地経済の象徴企業の衰退を表しているのではなく、取り組んでいる事業そのものが、不動産・航空産業とコロナ禍で苦戦を強いられているだけであり、植民地経済の衰退というノスタルジックなものだけではないとみている。

為替取扱高に関して香港はシンガポールと並び世界トップ5の一角を占めており、東京市場の倍の取扱高である。IPOによる資本調達額もNY市場と1位、2位で競り合っている。香港をどうしても政治都市と言いたい方は多いようだが、HSBCの歴史を見ても、戦争に翻弄される事はあっても、基本はアジア経済と密接に結びつく経済都市「香港」と共に成長してきている。

そしてこれから香港は広東省と一体になってGreater Bay Area(GBA)構想で重要な役割を果たすのである。そのGBAの人口はイギリスと同じである。GDPはまだイギリスの4割程度であるが、GBAのGDPがイギリスを抜く日も近いのではないかと思っている。

活気溢れる香港人に商機あり

筆者は「香港はこれから少なくとも10年は成長を続ける」とみている。マクロ的には人民元の為替取引自由化に時間を要するため、香港のゲートウェイ機能は期待され続けるだろうと考えている。そしてミクロの視点で言えば、この街の人たちの動きが興味深い。

筆者のところには、毎週末香港人の友人が入れ代わり立ち代わりビジネスの相談でランチをしようと誘ってくる。平日は忙しいと言うと「ならば週末はどうか?」という事で週末になるのだ。香港人は誰もが常にビジネスチャンスを探っている観がある。しばらく会っていないと、いつの間にか新しいビジネスをいくつか立ち上げている。2年前に会ったときは初めて1軒目のレストランを立ち上げた友人がこの前会ったら既に21軒オープンしているという。キャセイパシフィックのベテランCAを50人単位で雇い、レストランで接客をしてもらっていると聞いた。

何せ彼らは接客のプロなので、客の評判も良いとの事だ。ミクロレベルのパワーがマクロを押し上げていく。これこそが香港という街のパワーの源泉だ。コロナ禍で暗い顔している香港人には会ったことがない。みんな、元気そのものだ。そして新たなビジネスの裏にはいつもリスクマネーが存在する。そのリスクマネーをどう供給し続けるかが、今後の香港の命運を握るとみている。そういう意味でも、リスクマネーを媒介するHSBCの果たすべき役割はこれからますます高まるだろう。「香港は簡単には終わらない」のである。

 

筆者と仲間で興したNippon Wealth Limitedは、残念ながら今夏をもって一旦営業を終了します。そのため、本コラムも今回が最終回となります。これまで長期間にわたってお読みいただき誠にありがとうございました。Nippon Wealth Limitedは香港にて別のかたちで金融事業の展開を予定しています。今後の展開にご期待いただければと存じます。