豊かな自然あふれる美しい「百湖の市」
コロナウイルスによる新型肺炎が中華人民共和国武漢市を発生源として世界中に広がりを見せ、今日(2月18日)現在でもその感染の勢いが収まる気配はない。「武漢肺炎」とも別称されたこともあり、発生源となる武漢市が閉鎖されたのが1月23日であるから、既に3週間以上が経過したことになる。
武漢市のある湖北省からの来訪者は香港においても制限され、日本でも入国制限されている。誠に深刻な事態であり、1日も早い事態の収束を願うばかりである。
香港在住の筆者は10年ほど前、頻繁に武漢へ仕事で通ったことがある。当時の人口は800万人。現在は人口1,100万を超え、成長を続ける大都市であることは間違いない。
武漢という街の名が、「コロナウイルス」の街とだけ人々の記憶に残るのはあまりに悲しいので、今回のマネクリのコラムでは当時の記憶を頼りに武漢の街を皆さんにご紹介したい。
筆者が2010年に武漢市を訪れた最初の印象は、風光明媚な豊かな自然あふれる美しい街というものだった。
アジア最長の大河である長江(日本では河口の揚子江と言われることが多い)が街の真ん中を流れ、そして東湖という中国の都市部にある湖としては最大の湖が、ハイテク産業開発区「武漢東湖国家高新技術開発区」の北部に控えている。
東湖の面積は約33平方キロメートル。さらに東湖を含む武漢東湖風景区の面積は73平方キロメートルであり、ほぼ香港島と同じ大きさである。「百湖の市」とも呼ばれ、市内の4分の1が水域である。空港からタクシーに乗り、右手に美しい湖を見ながら、街路樹の広がる街道を走り目的地のオフィスに着いたときは、なんと素敵な街なのだと思ったものだ。
三国志の舞台、近年は産業が急速に発達
武漢は交通の要衝である。中国大陸のど真ん中に位置しており、首都北京の南、商都上海の西、広州の北、重慶の東に位置しており、中国の主要都市からいずれも飛行機で2時間前後ということで、「中国の臍(へそ)」ともいえる位置にある。
長江唯一のメガシティであり、湖北省の省都でもある。アメリカ合衆国で言えば、ミシガン湖を望むシカゴのようなイメージだ。
その歴史は古く、殷の時代(紀元前17世紀頃~紀元前1046年)の遺跡も存在する。そして中国の歴史物語の中に武漢周辺は度々登場する。
三国志の舞台にもなり、曹操軍と孫権・劉備連合軍の間の「赤壁の戦い」が繰り広げられた赤壁市は、武漢市から車で1時間半ほど行ったところである(ちなみに武漢は、1926年に武昌・漢口・漢陽の3都市が合併してできた街である)。
近代史においても、1937年に中華民国蒋介石政権が臨時首都を武漢に置き、さらには、中華人民共和国になっても文化大革命の最中に武漢事件のような武力衝突も起きている。
また、産業も急速に発達している。特に大陸の真ん中に位置し、かつ長江に面していることから、自動車産業が盛んである。
国産自動車メーカーである東風汽車に加え、外国メーカーであるホンダ、日産、ゼネラルモーターズ、グループPSA(プジョー等)など、主要メーカーが完成車アセンブリー工場を構えている。
1月28日のWall Street Journal記事 によれば、武漢に工場を持つ自動車会社各社は2020年度に160万台の生産を予定している。これは中国全土の生産台数の6%であるという。シカゴというより中国のデトロイトといえるかもしれない。
無論メーカーだけではなく、日本からは、三井物産・住友商事・三菱UFJ・みずほ銀行などの商社や銀行に加え、イオンがショッピングモールを構えるなど、日本との経済的繋がりも深い。
中国の名門大学もあり学園都市の顔も持つ
産業を支えるのが「学生の街」ともいわれている学園都市の顔である。当時2010年頃に訪問した際にお会いしたとある企業のCEOは、中国ベストテンスクールのうち2大学(武漢大学と華中科技大学)が武漢にあるのだと胸を張って言っていた。
同氏は、武漢大学の法学部を出ており、中国全土でもトップランクなのだと学生の雰囲気が抜けきらない顔で自慢していたのを覚えている。とても素朴な感じの好青年であったが、9年後の昨年、ある都内のパーティー会場で偶然再会した時は、既に時価総額で数千億円の企業を率いるCEOの貫録を身に着けていたのは記憶に新しい。
東京都とほぼ同じ規模の人口を誇る武漢市。豊富な自然に恵まれ、長い歴史に育まれ、そして、伸び行く産業とそれを人材供給の面から支える大学群を有している。中国のモデル都市ともいえる街が「武漢」なのだ。
そんな街が、見えない敵との闘いで封鎖されてから3週間以上が経過した。とても心配で心が痛む。武漢でお世話になった皆さんを始め、武漢市民の皆さんの健康と安全を心から祈るばかりである。この新型肺炎騒ぎが収束したら、是非また武漢を訪れてみたい。
「加油! 武漢」