天下りと云う言葉が、私は嫌いです。このつぶやきを書き始めてそろそろ10年、使用しているテキストエディターでは、そろそろ3万行目も近く、文字数は正確には数えられませんが150万字は越えていると思われます。その150万字の中で、昨日まで一度も「天下り」と云う単語を使っていません。今日が初めてです。

天下りの是非の前に、私はこの言葉が嫌いなのです。

官僚の影響力に関しては、私は否定派でも容認派でもありません。「官僚だから」と云う議論は、「○○人は」と云う考え方とも共通する部分があり、一歩間違えると差別的な考え方になりかねませんし、或いは更に悪い方向に発展すると「誰々の云うことだから正しい」ともなりかねず、或る意味でファシズムの温床になりかねないと私は感じてしまいます。ですから或る職業の人をまとめて一般化することは嫌いです。

まして「天下り」とは、英語に訳すと「descent from the heavens」即ち「降臨」と同じになってしまいます。天下りを批判する人も、天から降りてくるのを減らせと、要は元々「天」にいると思ってるようなことを容易に口に出してしまうところが、滑稽でもあり、根深い問題でもある気がします。言葉には魂があると云います。概念的に間違った言葉は、ちゃんと直していかないといけない。特に差別的なものや被征服的なものは、きちんと絶やしていくべきだと思います。