携帯が水没し、以前使っていた、今となっては不慣れな携帯を使っています。私は普段、ちょっと時間があると携帯からニュースを読んでいるのですが、これを殆ど全くしなくなりました。或いは様々な指示を含めて、かなりのメールを携帯から打っていたのですが、これも全くしません。不慣れだから時間を掛けるのではなく、不慣れだからそもそも利用しなくなるのです。
ではニュースは替わりの方法で摂取しているかと云うと、これがそうではなく、情報流入量が減った気がします。しかし質で云うと大して変わってないかも知れません。メールなど、自分からのメッセージの発信が減ってる分については、或る部分はそのまま減りっぱなしで、或る部分は電話を掛けるなり、直接話すなりで代替しています。そして全体で見ると、ニュースの摂取時間が減った分だけ、考える時間が増えた気がします。
道具ひとつで、脳の使われ方は随分と変わるものなのでしょうか?今のような様々な電子機器がない時代と現代とで、人類の脳活動領域や活動の"カタチ"は変わった筈だと思われる一方で、人類のやっていることや書かれていることを見る限り、昔も今も人は変わってない気もします。結局自分で脳の使い方を意識していない時の脳活動が、実は全体の脳活動のうちの莫大な部分を占めていて、道具のあるなしで自覚する変化は、大した意味を持っていないのでしょうか。人間って、どこまでも不思議ですね。