私は一応法学部を卒業していますが、勉強もあまりしませんでしたし、成績も悪かったし、法律を仕事にしたこともありません。然しながら法とは常に関わり合いながら仕事をしてきました。そして私なりに、法の趣旨というか、いわゆるリーガル・マインドは理解しているつもりです。

法は、人類の知恵だと思います。人それぞれに、違う価値観や違う考え方がある中で、それでも一緒に生きていくために、社会生活を営んでいくために、人間の様々な長い経験の中から編み出された、或る意味知恵のエッセンスが法だと思います。

このことは、例えば名誉毀損罪なる法律に如実に表れています。刑法第230条「公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、3年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下 の罰金に処する」。1対1で云うのではなくて、他の人の前で、かつ単に「あなたは馬鹿だ」ではなく、「あなたは此々の事実をしたから馬鹿だ」と云うと、その事実の有無に拘わらず刑法犯罪になる。

人は、1対1の場ではなく人前で云われるとカッとなる。しかもその時に、あるかないかに関係なく或る事実を共に云われると、人々は信用しやすくなったり反論しにくくなったりして、更にカッとなったり、激しい感情が起きて、人間関係を著しく破壊する。なので、このような要件を伴う行動は刑法犯としたのでしょう。これは、日本だけでなく、多くの国で同じような要件で罪が規定されています。

法は、人類の知恵の蓄積なのです。そんな人類の知恵の蓄積である法の最たるものに、「国際法」があると思います。戦争に関する規定、戦争犯罪に関する規定、人権に関する規定。人類に普遍的な権利を保障したり、どこまで行っても並行線である異なる国家間の価値観の相違などに起因する戦争の被害を減らすために、そして戦争犯罪をなくすために、歴史の中で多くの犠牲を払ってきた人類が、その結果として、ようやく辿り着いた知恵が、国際法です。

今、中東でも南シナ海でも、この国際法が守られない状況が続いています。自分たちの考え方の根本に関する部分で相容れないから、そのことに関しては国際法は守らない。これだけのことをされたのだから、今回の状況では国際法は守らない。そんなことをしていたら、人類は知恵を活用出来ず、また過ちと、辛い体験を繰り返すことになるでしょう。人類の知恵の蓄積の歴史の後戻りになります。そんなことはしないで欲しい。そんなことは止めなければいけない。そう思う今日この頃です。