夢、ゆめ、dream。どう書いても夢はポジティブで甘くて楽しい語感を伴っていますが、実際に見る夢のヴァライエティはとても幅広く、どうしてこんなに一面だけでその言葉が定義され、かつその定義に何の違和感も感じず、それでも尚色々な夢を見るのか、私にはとても不思議です。

夢は良く見る期間とそうでない期間があり、或いは夢を見たことを良く覚えている時とそうでない時がありますが、最近私は夢を良く見ます。小さい頃は同じ夢を何度も何度も繰り返し見た記憶があるのですが、今は毎回違う夢を見ます。しかもそれぞれの間に脈絡がなく、それぞれひとつひとつも殆ど意味不明です。それでも見ます。夢辞典的なものを買ってみましたが、私には役に立ちませんでした。

今までに一度も見た夢を書き留めたことがないのですが、枕元にメモ紙とペンを置いておいたら、何か面白い発見があるかも知れません。が、やらないでしょうね、私は。夢はその語感とは異なり、見る内容には様々なカテゴリーがあり、かつどうにもその内容をコントロール出来ませんが、現実の方がむしろその内容をコントロール出来るので、現実の方が遙かに興味があるからです。
しかし不思議だな、夢という言葉。その言葉を定義した人の考え方・営みの方が興味があります。人は夢を見たいのでしょうね。