継続なしに何一つそれなりのことを成し遂げることは出来ない。私は常々そう思っています。エジソン曰く、発明は1%の閃きと99%の努力である。羽生善治さん曰く、才能とは継続できる情熱である。全くその通りだと思います。
ニューヨーク・東京間の長距離フライトの中で、或る事情から、私自身がかつて書いた様々な文章やスプレッドシート、そしてプレゼンテーションの極一部を整理することになりました。どのくらい極一部かというと、全体の0.2%とか、そういったレベルです。しかしそれでも、その懲りない、飽きない営みにビックリしました。長年に亘り、同じことを何度も何度もしている。或いは懲りずに新しい試みを何度も何度もしている。自分ながら、そのしつこさに感心しました。自分はこんなにしつこい人間だったろうか?

私は金言とか、他人の言葉に興味がないのですが、何故か一つだけ覚えてるビジネス金言らしきものがあります。それはどういう訳か英語で、恐らく高校生か大学生の時にどこかで聞いたのだと思いますが、CNNを創ったテッド・ターナーの"Be tenacious"という言葉です。何故かその言葉が胸に刺さり、以来ずっと忘れずに来ました。もしかしたら元々そんな気質があって、結果この言葉が馴染んだのかも知れません。でも自分で自分を観察するに、一般的には飽きっぽい、多動症気味の性格です。しかし仕事の上では、しつこく、逃げずに長く継続しなければいけないと、自然に思い、そしてそれを実践してきました。何故そう思ったのだろう?何故そんなことが出来たのだろう?夢か、欲か、友か、自信か。夢と友といえば格好いい。欲と自信といえば嫌らしい。でもどれでもない気がします。志?

一つ云えることは、長い人生の中で、自分をドライブしてきたものは、ずっと一緒ではない気がするのです。正直云って、若い時には欲もあった。それがないと若い自分にはエンジンは掛からなかったでしょう。しかし今の自分は欲で動いている訳ではありません。自分をドライブするコアの部分は歳と共に変わっていく、というのは当たり前のようでもあり、発見のようでもあります。但し方向性だけはずっとぶれていないと思います。この方向性というのが、重要なのでしょうか。私はとどのつまり、マーケット・資本市場が好きなんだと思います。マーケットの効用と楽しみを多くの人に分かってもらいたい。資本市場の記憶に残る仕事をしたい。それだけかも知れません。私の四半世紀以上に続く営みの源泉は、何とも単純なところにある。でも人ってそんなもんかも知れませんね。今日は(いつもですが)とりとめのない話で失礼しました。