今朝新米をいただきました。あー、美味しかった。そこでふと思ったのですが、新入社員とか、不慣れな新人、未熟な新入りなどのことを新米と云いますが、何故でしょう?人の新米は、あまりいいニュアンスを持ってないように感じます。「おい、そこの新米!何やってんだ!」とか「うちの新米がご迷惑掛けてすいません」などの文脈が似合います。しかし米の新米はみずみずしいし、きらやかで、いいことばかりです。何で米の新米と人の新米はこんな風に違ってしまったのでしょうか。
人の新米の語源は、江戸に職を求めて若い人が集まるようになった頃に、米も多く江戸に集まるようになり一般的な食べ物になったので、新人の人と米をかけて新米と呼んだなど、様々な諸説があるようですが、どうも腑に落ちません。そこで自説を考えてみました。新米は美味しい。みずみずしくてきらやかだ。しかし新米は今年の季節ものであり、去年や一昨年の記憶がない。古米は枯れていくが、年輪と云うか過去の記憶がある。新米には蓄積や経験がない。
人の新米と云う言葉は、先輩から後輩に対する、自分自身への自負を含んだ、そして一方で激励の意も含んだ、言葉だったのではないでしょうか?下半期が始まり、当社では今春の新米が配置付けされ、来春の新米の内定式も行いました。頑張れ新米!