先月のつぶやきで、「英語は聞く力よりも話す力が大切だ」と書きましたが、「話すこと、書くこと、出力すること」が「聞くこと、読むこと、入力すること」より大切だと思う気持ちが、最近前に増して強く思うようになりました。表現されないアイデアはノー・アイデア。沈黙の天才は凡才と同じ。そんなことを思いがちになりました。さて何故でしょう?実際は、どちらも重要です。片方だけでは力になりません。にもかかわらず、何故に今、出力サイドを重要に思うことが増えたのか?

思うに、前に増して、入力量、或いは目の前にある情報量などが大幅に増えたのではないかと思われるのです。或いは、より正確に捉えると、情報量の総量に増減はないものの、その入力経路が新聞よりもネット、口頭よりもメールなどとなって、メリハリが効かない、パースペクティブ(遠近感・濃淡)が弱くなってしまってきているので、取捨選択し、濃淡を付け、輪郭をハッキリとさせるために、自分は出力することに重きを置くようになり、他人にも出力して欲しいと思うようになって来ているのではないでしょうか。話したり書いたりしてみると、何を知らないか、何が重要かが分かるものです。

投資もそうでしょうか。ニュースを読んでいるだけでは世界経済も企業動向も何となく頭を通過するだけでハッキリとは分からない。投資のようなアクションを取って始めて、実感を持って経済や社会を理解できる。出力と云うよりも表現と云った方がいいかも知れない。きちんと表現することを大切にしていきたいと思います。