当社にはつくしという愛称・総称の学生アルバイトがいます。創業直後から続いているので、この春に卒業するつくしは、卒業年数で数えて13代目、実際には1、2年生からバイトを始めるので、10代目ぐらいでしょうか。会社や私とつくしとの間の関係も、時代と共に変わってきているのですが、いつの時も、若くて可愛い後輩だと思っています。そんなつくしの一人がまた卒業していきます。私と会うのは今日が最後かも知れないというので、記念(?)に「つぶやきのネタをくれ」と云ったら、「シャンプー」と返ってきました。ノンシリコンが必ずしもいいのではない云々。うーむ。厳しいお題です。流石に書けない。

しかしこのシャンプー。見れば見るほど日本語に馴染んでいて、シャンプーの意味の本来の日本語を探すことが出来ません。英和辞典でshampooと引いても、国語辞典でシャンプーと引いても、答えは洗髪剤。果たしてこのような言葉を、私は半世紀近い人生の中で使ったことがあるだろうか?しかし一方、無理矢理日本語を書けと云われれば出てきそうな言葉であるし、この言葉は通常何のことかと聞かれれば、迷わずシャンプーと答えられるでしょう。何とまぁもったいない、贅沢なメモリーの使い方であることか。

日本人の頭の中には、言葉の引き出しが異常に多いように思われます。一人称でも俺、僕、わたし、わたくし、われ、わし、朕、その他モロモロ、恐らく数十あるのではないでしょうか。二人称然り。引き出しが多いから表現が豊かとは限りませんが、引き出しを使わないのももったいない気がします。一度、「今日は一日外来語は使わない日」と決めて一日チャレンジするのも面白いかも知れません。グロービッシュもしくはブロークン・イングリッシュ飲み会ならぬ、外来語禁止飲み会、云ったら罰金、と云うのも面白いかも知れません。その時は若いつくし卒業生を呼んでカモりましょうか。卒業おめでとう!