流星とは、宇宙の塵が大気圏に突入して摩擦によって燃えた軌跡のことです。正確には、彗星などが残していった宇宙の塵に、地球の大気圏が公転によってぶつかっていって出来る、大気と塵の摩擦による燃焼の軌跡です。科学は正確に云うほど情緒がなくなりますが、それでも尚、流星は何処かしら情緒があるものです。
私は小さい頃から天体が好きで、双眼鏡、望遠鏡、或いは裸眼でよく夜空を見つめてきました。当然流れ星は見たことがあります。しかし一般的な「夜空見つめる時間」に対する流星認識頻度に比較して、私の流星認識度は著しく低いと思います。視力が低いからか。夜空を見上げる時は酔っ払っているからか。或いはそんな運命に生まれたのか。或いはまた意識的に流星認識を拒否しているのか。この理由が中々分かりません。
しかし自己分析をすると、最後者の理由しかない気がします。或いは偶々か。意識的に見ないと認識するのか、偶々見えないのとでは、大きな隔たりがありますが、ま、人生、そんなものかも知れません。いけません、どうも緩い。分析が不完全です。そうすると真ん中の理由かなぁ。
夜空に光るものは、何光年も昔に発せられた光で、その星自体は既に存在しない場合もありますし、或いは取り残された塵の最後の燃焼だったりします。所詮儚いものでしょうか。