気候変動が金融政策になぜ関係するのか 

近年、気候変動問題をめぐる国際的な取り組みが加速しているが、その中で金融政策の文脈から気候変動問題への対応方法について議論がなされることがある。

気候変動が国際的に大きな課題として認識されているのは周知のとおりであり、経済的な意味合いにおいても気候変動への対処がむしろ合理的であると認識されるに至っているからこそ、昨今の「カーボンニュートラル」をはじめとした各種の取り組みが加速する背景となっている。

金融政策においては、前提として経済・物価に関する情勢判断を行っていくことになるが、そこにおいて気候変動への対処や気候変動が経済に与える影響を織り込んでいくことによって金融政策運営が影響を受ける、というのが、気候変動が金融政策に影響を与える第一の経路である。

これについては、中央銀行の責務である「物価安定」を実現するために経済情勢を的確に織り込んでいく、という経路であるので、中央銀行の責務とのコンフリクトは生じないであろう。

そのうえで、さらに踏み込んでより積極的に気候変動対策を後押しするような政策運営を行っていくべきか、という点に至ると、中央銀行の責務と金融政策手段の市場中立性との問題が生じてくることになる。

具体的には、資産買い入れなどにおいて、中央銀行がグリーンボンドなどを積極的に購入するなどして気候変動対策を促すような施策をとるべきか、という論点となる。

各国金融当局の考え方

こうした積極的な対策に金融政策が踏み込むべきか、という点について各国金融当局の考え方は必ずしも一致していない。

まず、最も積極的なのは欧州中央銀行(ECB)であるが、ラガルド総裁は金融政策での対応に積極的であり、気候変動は物価安定目的で考慮すべき問題であるとしている。

一方で、米国の連邦準備制度理事会(FRB)は金融政策での対応には消極的態度であり、パウエル議長は、気候変動への対応を金融政策運営で考慮することには距離を置いており、「金融政策は資源配分に立ち入らない」との原則に忠実な立場をとる。

気候変動対策は金融機関への監督・規制の文脈で行われるべきだ、との考えである。言い換えれば、金融システムの安定という中央銀行のもう1つの責務の文脈において考慮すべき問題との認識を示している。

我が国の中央銀行である日本銀行もFRBに近い立場をとっているとみられる。黒田総裁は経済・物価情勢判断において気候変動の影響が入ってくることによる政策運営への影響についてはその可能性を認めており、そのうえでの積極的対処を行うか否かについては慎重に検討を進めていく姿勢を示している。

また、気候関連金融リスクへの対応は、金融システムの安定確保という責務に沿って考えるべきとの考えを示しており、前述のFRBの考え方と軌を一にしていると言ってよいだろう。

基本的な考え方

ここで、政策的なマンデートとの文脈において中央銀行がどこまで気候変動リスクに対処できるか、といういわば「能力」や「権能」の問題としての考え方に加え、民主主義国家において中央銀行が選挙の洗礼を受けない組織としてなぜ金融政策を担うことが許されてきたのか、という中央銀行の「正統性」の根源についての本質的な理解に立ち戻って考える必要があるように思われる。

中央銀行が民意から独立を許されてきた、あるいはそうあるべきだと考えられてきたのは、金融政策は根本的に民意が望むものとは異なる運営となる必要があるからであり、それは典型的には景気過熱時における金融引き締めの際に現れる(「なぜ景気に水を差すようなことをするのか」という批判は多く、「パーティ会場から酒を取り上げる」役目が中央銀行の役目だとよくたとえられる)。

そうしたものから中立的に政策をなすことに中央銀行の存在意義が認められてきたからこそ、いわば民主主義の例外として金融政策という重大な政策運営を民意からほぼ独立した立場で任されてきたのが中央銀行であり、あくまでマクロでの金融調節に徹する必要があるのも、「資源配分」に踏み込めば民主的正統性の観点から問題を生ずるからに他ならない。

この点、FRBや日銀は上記の考え方に即して、資源配分の問題と金融政策運営における気候変動の影響という問題を切り分けて考えており、中央銀行の来歴からしても妥当性が高い考え方であろう。

ECBのような先鋭的な考え方は、注目を集めることが多く、また、気候変動についてはその課題の大きさや、各主体が一丸となって対応する必要性が強調されていることもあり、好意的にみられることも多いが、「中央銀行」という主体の特殊性について、今一度よく心に留めてこれら政策的動向を批判的に見つめる必要があるように思われる。