時は1990年3月。私は大学を出て初めて就職した会社・ソロモンブラザーズを辞め、ゴールドマンサックスに転職すべく、自宅で毎日ビデオを見ていました。証券界で同業者間を転職する際には、一ヶ月間の洗浄期間とでも申しましょうか、仕事から丸一ヶ月離れるのが慣わしでした。或る意味でとても暇で、来る日も来る日も近くのビデオ屋さんに出掛け、例えば仁義なき戦いシリーズを全巻見るなど、贅沢な、或いは密度の低い、無軌道な若者に近い一ヶ月を過ごしていました。
当時の私は外国債券や金利デリバティブが専門だったので、世の中、特に日本の動向には疎かったのですが、そんな頃にいわゆる「総量規制」が実施されたのです。私は債券や金利・為替のスクリーンばかりを見つめていて、バブルが起きたことも壊れたこともあまり知らなかったような人間ですが、この1990年3月に当時の大蔵省から銀行に対して出された行政指導、「不動産向け融資の伸び率を総貸出の伸び率以下に抑える」即ち総量規制は、当時の私にとっては菅原文太のセリフの狭間に掻き消されるような言葉だったのでした。
しかしこの総量規制は、不動産価格の高騰を抑える目的を超えて不動産バブルを弾けさせ、更には日本経済全体をバブル崩壊・失われた20年へと向かわせたのでした。それからほぼ四半世紀の間、株価は下がり続け、デフレなるものが生まれ、そしてそれが永遠のように続きました。しかしほぼ四半世紀たったこの春、通称黒田バズーカ砲なるものの号砲が轟きました。曰く「マネタリーベースを2年間で2倍にする」と。
総量規制は市中に流通するお金の量を規制したもの。そしてマネタリーベース2倍とはその真逆です。お金の量が減って価格が落ち続けた四半世紀の今、お金の量を増やそうと云うことになったのです。これはほぼ四半世紀の長くて大きい波動のまさに転換ではないでしょうか。総量規制で始まったこのほぼ四半世紀の下向きの波が、総量規制の逆、マネタリーベース2倍政策によって上向きの波に変わっていってる。これは歴史的な出来事です。私の社会人人生のほぼ全ての期間の波が、ほぼひっくり返されてこれから実現していくのでしょうか。ダイナミック!
少なくとも今起きていることは、これくらい大きな波の話をしている、少なくともそう云う可能性があることを、重々認識すべきだと思います。