詩人の方(加島祥造さんという方ですが、他の著作を読んだことがないので、どういう方かは詳しくは知りません)が訳された老子「TAO」(ちくま文庫)をパラパラと読んでいます。これは老子の全訳であり、しかし創造詩です。これが分かり易い。とてもすんなりと入ってきます。私は老子をいわゆる漢文、読み下し文、日本的翻訳(解説)で読んだことはありますが、それとは随分と印象が変わります。『バカボンのパパと読む「老子」』も読んだことがありますが、「TAO」の方がより自然にすんなりとイメージできます。

そこでふと思ったのですが、アメリカ人の読む老子は、我々日本人が一般に読む老子よりも、この「TAO」の方が近いのではないかと。なまじ日本人は漢文がある程度読めたり、読み下し文が分かるので、中国古典風に雰囲気を吸収しますが、コンセプトとして理解するには、簡単な英語で書かれたものを読んだ方がいいのではないかと。いや、いい悪いではなく、アメリカ人の接する老子は、日本人が一般に読む老子とは違うのではないか、この「TAO」の中の老子の方がそれに近いのではないかと思った次第です。

なべて考え方・思想・哲学・科学・批評、あらゆるものは言葉を通して表現され、言葉を媒体として人から人にそのコンセプトが伝わるものです。違う言葉で表現してみること。これは古典に限らず、日常生活でも色々と実験のしがいがあるテーマです。言葉は面白いですね。