中国にいると、漢詩を思い出し掛けます。しかし完全に思い出すのではなく、不完全に「思い出し掛ける」としか書けないのが残念です。小さい頃はレ点などが面白くて読み始め、そのうちヴィジュアルな情景を想起させるものを好むようになりました。いくつかの詩は憶えていたのですが、やはりどんどん忘れていきます。

一昨日北京に着いた日に赤ワインを飲み、「あー、あの、別れ際に葡萄酒を飲むヤツ」と不完全に思い出します。今日話した人が中国の西の方の出身と聞くと、「あー、なんだっけ、そうだ陽関。陽関より西ですか?」とは聞くも、詩は完全には思い出せません。黄砂で今は木の葉が汚れ、もう1、2ヶ月経つと柳の葉も綺麗になります、と聞くと、「あー、それそれそれ。なんだっけ、渭城の朝雨がなんとやらでカクシャ(?)がなんとかで」と、もだえ苦しみます。確か王維の詩だったような。。。

まぁこんな感じで、全くだらしないのです。しかしインターネットとは素晴らしいもので、適当に検索を掛けると、すぐに答えに行き着けます。確かに王維のでした。「渭城の朝雨軽塵を潤す。客舎青々柳色新たなり。君に勧む更に尽くせ一杯の酒。西の方陽関を出づれば故人無からん。」あー、スッキリした。
ところで「故人無からん」とは、「陽関を出て西方に行くと、もう一緒に酒を飲む友人もいないだろう」と云うことでしょうか、それとも「ひとたび陽関を出て西方に行ってしまって帰ってきた友人は一人もいない」と云う意味なのでしょうか?いずれにしろ杯を受けている人からすれば、果てしない孤独しかない訳です。そのことを友人に宣告をしてもう一杯飲もうと云うよりは、そのことは云わずに胸に秘めて最後の一杯を友人と飲もうとした、と解釈できる後者の方が、私は好きです。

まぁ、そう云った難しい話は抜きにして、今宵も「勧君更尽一杯酒」でもして来ようかと思います。