◆江戸っ子は現金を持たなかった。「宵越しの銭は持たねえ」なんて言って使っちまうから、「持たなかった」というより正しくは「結果として持っていなかった」というべきだろう。現金を持たない、という点では現代人と同じだが、いまのひとは決済アプリや電子マネーなど、現金に代わる支払い手段が数多くある。江戸時代には無論そんなものはないので、江戸っ子の飲み食いは必然的に後払いとなった。つまりはツケである。

◆ツケの語源は、江戸っ子の勘定を店側が帳面に記入、すなわち書き「付け」ておいたことに由来する。上で述べた通り、決済アプリ、電子マネー、クレジットカードなどこれだけ決済手段が多様化した現在においてツケがきくのは馴染みのスナックだけかと思ったらそうではない。現代では企業の売掛金などがまさにツケだが、個人でもツケがきくサービスがある。ZOZOTOWNでは「ツケ払い」で商品を購入できるという。

◆ツケとは、早い話、金を借りて消費することにほかならない。ツケはこれからますます流行るだろう。なぜならインフレが定着してきたからである。モノの値段が上がるという面を逆に見れば、お金の価値が下がるということだ。借りたお金の「額」は変わらないが、「価値」は低下する。先送りすればそれだけ借金の負担感は軽くなる。インフレは債務を負う者にとって恵みの雨である。この国でもっとも恩恵があるのは誰か?もっとも多額の債務者‐政府である。

◆衆院選で圧勝した高市政権は大手を振って財政拡張政策を実行するだろう。それに対してよく聞かれるのが「将来世代にツケを残すべきでない」という批判だ。一見、ごもっとものように思えるが、実はケースバイケースである。自分で飲み食いしたツケは自分で払うのが道理である。消費税減税を巡る議論はこれに当たるだろう。だが社会保障費の財政負担については微妙な話になる。日本の社会保障、特に公的年金制度は「賦課方式」だ。現役世代が納めた保険料を、高齢者世代の年金給付に充てる「世代間扶養」の仕組みである。ツケを回されているというより、養ってもらった親世代に成長してから恩返ししているとも見做せる。

◆「責任ある積極財政」の主眼は成長投資だ。いまお金を使って戦略・成長分野に投資した成果は将来世代が享受できる期待がある。例えが違うかもしれないが教育ローンのようなものかもしれない。子供の将来のために親が借金して「教育」という投資をするものだ。借り入れにも二世代ローンなどがあるように、「今の借金」が現役・将来世代それぞれのためになるツケもある。高市政権の成長投資はまさにそのような二世代ローンとは言えまいか。なかなかに難しい問題ではあるが、現代の「ツケ」は江戸っ子の時代と比べて相当程度、多様化していることは確かである。