年収300万円の掃除夫だった時に株式投資をスタートした個人投資家のwww9945さん。毎月5万円の積立投資のほか、チャート分析、企業分析などさまざまな手法で銘柄分析を行い、独自の「富士山型投資法」を確立。ついに資産が10億円を突破しました。これまでの投資の道のりや、「街角ウォッチ」から得たヒントで銘柄選択に落とし込む極意など、投資初心者から経験者まで参考になる貴重なお話をうかがいました。
●www9945さんのプロフィール●
東京都在住の個人投資家。1980年代バブルの崩壊前後から株式投資に関心を持ち、1996年に本格的に投資をスタート。納豆会社や清掃会社での勤務を経て、2012年11月に資産が1億円を突破。2014年9月に会社を辞めて専業投資家となり、配当金生活に入る。街角ウォッチから得る投資アイデアに定評があり、生活密着型の銘柄選びを得意とする。現在は約70銘柄の日本株を中心に、合計100銘柄以上に分散投資。著書に『年収300万円、掃除夫だった僕が7億円貯めた方法』(宝島社)などがある。
株に興味を持ったのは邱永漢氏のコラムがきっかけ
――資産がついに10億円を突破されたwww9945さんですが、投資を始めたきっかけについて教えてください。
株と出会ったのは1990年頃。当時、「金儲けの神様」と言われていた邱永漢さんのコラムを読んだのがきっかけです。競馬やマージャンなどのギャンブルがもともと好きだったこともあり、その流れから株式投資にも興味を持ちました。
当時はまだ日本でインターネットサービスが始まる前でしたから、投資の情報源は「ラジオたんぱ(現ラジオNIKKEI)」や上場銘柄のチャートを掲載した「週刊ゴールデンチャート」などしかなく、株価情報を得るのも大変でした。
ラジオたんぱで株式市況を聞き、夕方、駅のキオスクに届いた日経新聞を読んだりしながら、「100万円貯めたら株を始めよう」と決めていました。当時の日本株投資は1,000株単位からで、株価も高く100万円投資しても1~2銘柄しか買えない時代でした。
――最初に購入された銘柄は覚えていますか?
初めて株を買ったのは1991年6月。公共事業銘柄でもある宇部興産(現UBE)(4208)と配当利回りの期待から北陸電力(9505)を購入しました。1998年12月に日経平均株価が3万8915円87銭(終値)をつけた後、1990年8月にはイラクがクウェートに侵攻する「フセインショック」が起こり、1990年12月には2万3000円台まで下げた時代。今、思えば、とんでもない相場でしたね。
株式累積投資なども試しつつ、信用取引を20年以上継続
――当時はどんな目標をお持ちでしたか?
株式投資を始めた頃は、「投資額を1億円まで殖やして、利回り5%くらいの銘柄を持って、配当金を年間400万円くらい得て暮らそう」と考えていました。定期預金の金利が年率7%くらいある時代でしたから、それほど大それた目標ではなかったのです。
――当時は、株式投資の情報を得るのが大変だということでしたが…。
投資関連の書籍をいろいろと読みましたね。特に参考にしたのは邱永漢さんの著作です。
清掃会社に勤めていた頃は、ラジオを持ち歩いて、掃除しながら株式市況の情報を聞いていました。今もですが、この当時からとにかく株に夢中でした。ラジオでは大型株や注目銘柄の株価は伝えてくれるものの、私の好きな小型株の情報はなかなか出てこないのです。そこで昼休みに証券会社の店頭に出向いて、情報端末で株価を調べたりもしていました。証券会社まで往復で30分かかるので、25分で食事をして、残りの5分で株価を調べていたわけです。
1997年半ばには、10年後の大化け株を狙って7つの銘柄を毎月1万円ずつ買っていく株式累積投資も始めました。ですが、自分には合わないと感じたほか、資金的な余裕がなくなり他の銘柄が買えない、株価上昇時には平均買い付け単価が上がって買い上がりになるなどの理由もあり、2001年には止めてしまいました。2004年からは信用取引を始めましたが、こちらはこれまでに3週間休んだのみで継続しています。
――そんなご苦労をしてでも株式投資を続けられたのは、どこに魅力を感じていたのですか?
私はチャートが大好きなんです。競馬やマージャンに通じるものを株の値動きにも感じていました。「週刊ゴールデンチャート」を毎週買い、セガ・エンタープライゼス(現セガサミーホールディングス)(6460)や、セブン-イレブン・ジャパン(現セブン&アイ・ホールディングス)(3382)のチャートを見るのが楽しかったですね。
間違って売却したことで暴落を免れたラッキーな経験も
――長年投資を続けてこられて、特に印象に残っている経験を教えてください。
2つあります。1つ目は2006年、アセット・マネージャーズ(現いちご)(2337)の株式を間違って全株売却してしまったことです。パソコンでの操作を間違うという信じられないミスで…(笑)。しかし、結果的にはライブドアショックの影響もあり、その後2週間ほどで不動産流動化関連銘柄が大暴落。偶然とはいえ、結果的には、自分のミスに救われたラッキーな経験でした。
もう1つは、業務スーパーを展開する神戸物産(3038)の株です。2019年の初頭にPERが12倍と割安でしたが、2019年の夏に株価が2倍になった後、1日で8%ほど下落したため、売却することにしました。まず保有株の7割を売却し、その日の後場で2割売って、1割ほど残しました。
ただ、その後、新型コロナウイルス感染拡大の影響で業務スーパーの快進撃が始まり、株価が大きく上昇、PERは48倍になりました。1割残しておいたので利益は得られましたが、もっと残しておけばよかったという悔しい思いもあります。
金融資産が半減しても投資をやめずにいられた理由
――投資での苦い思い出があれば教えてください。
2008年9月のリーマン・ショックで株価が暴落し、ピーク時に5,200万円ほどあった資産が2,600万円と半減したことがありました。株式投資を始めてからの16年間で貯金した1,600万円を除くと、儲けは1,000万円しかないことに気づき、「こんなに一生懸命やっているのに、1,000万円しか儲かっていない」とショックで…。あの時、初めて「投資をやめよう」と思いましたね。
――「投資をやめよう」と思いながらも、なぜ継続できたのでしょう?
ショックでうつ伏せになったまま1時間くらいじっとしていたら、「16年間も続けてきて、たった1時間しか落ち込んでないのに、やめるなんてありえない」と思えてきたのです。
そして、その時が資産の底でした。以降は1日も前日の資産残高を下回ることなく、今に至っています。あの経験は、感情に流されると失敗するという良い教訓になりました。自分の感情とマーケットのタイミングは裏腹だということがわかった体験でしたね。
その後2014年9月に会社を退職して、専業投資家になりました。もともと資産が1億円を突破したら会社を辞めて配当金生活をしようと決めていましたが、2013年末にアベノミクスによる株高の恩恵もあり、資産が2億円を突破しました。資産2億円で、配当利回り3%ならば、税金を考慮しても月40万円の配当収入は確保できます。「もういつでも会社を辞められる」と思えたのが大きいですね。
取材・文/大山弘子
企画・編集/マネクリ編集部(佐野佳代子、西條玄香)
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※本インタビューは2025年7月23日に実施しました。
※本内容は、個人の経験に基づく見解であり、当社の意見を表明するものではありません。
※投資にかかる最終決定は、お客様ご自身の判断と責任でなさるようにお願いいたします。
