「構造的円高」から「絶望の円安」に豹変した1990年代後半

1995年、米ドル/円は1米ドル=100円を下回る円高となり、「超円高」と呼ばれる状況が起こった。超円高は4月に80円で終わったものの、当時の一般的な受け止め方は、「あくまで円高の一服に過ぎず、もう大きく円安に戻すことはない」というものだった。

その見方を示す象徴的なエピソードとして、この頃、ある経済専門誌の「ベストカンパニー」に選出された企業の社長インタビューがある。「超円高」時代に「ベストカンパニー」に選出されたのは大手オーディオメーカーだったが、選出理由は「超円高」の影響を受けない海外生産比率9割ということだった。

「これに対して国内の雇用へ貢献しないという批判もあるが、それなら120円まで円安に戻りますか。それは無理でしょう、なぜなら構造的円高なのだから」。それが「ベストカンパニー」の社長インタビューだった。ところが、それからたった3年後の1998年、米ドル高・円安は120円どころか150円を目指す動きになったのだった。

「ミスター円」財務官でも止められなかった円安=1998年

1997年秋以降、大手の証券会社や銀行などの経営破綻が相次ぎ、株価も下落傾向が広がり、日本は金融危機、経済危機の様相となった。その中で円安も止まらなくなっていった。

1997年11月、日本の通貨当局は米ドル高・円安が1米ドル=130円に近づく中で円安阻止の米ドル売り・円買い介入を開始した。それでも円安は止まらず、1998年4月になると、いよいよ140円を目指す動きとなった。

当時、日本の通貨政策の実質的な責任者である財務官は、榊原英資氏だった。1995年の「超円高」の反転劇において主導的な役割を演じたことから、有力米紙から「ミスター円」の称号を贈られた人物である。その「ミスター円」財務官は、1998年4月、当時としては桁外れだった2兆円以上の米ドル売り・円買い介入を行った。しかしそれでも円安には歯止めがかからなかったのである。

日米協調介入でも終わらなかった「絶望の円安」

大手金融機関の経営破綻が相次ぎ、株安も止まらない中での「止まらない円安」。それはいかにも日本経済が見限られた結果、資本逃避が起こっているように感じられる現象だった。「構造的円高」とされた1995年の「超円高」からたった3年過ぎたところで「絶望の円安」へ豹変したのだった。

「超円高」を止めた男、「ミスター円」が「絶望の円安」を止めるために模索したのは、円安阻止への米国からの協力だった。こうした中で1998年6月、日米協調米ドル売り・円買い介入が実現した。すでに米ドル高・円安は146円まで進んでいたが、この日米協調介入を受けて130円台前半まで米ドル安・円高に戻った。しかしそれは、「絶望の円安」の終わりではなかったのである。

日米協調介入を受けた急激な米ドル安・円高への戻りも2営業日程度で一巡すると、その後はじりじりと米ドル高・円安が再開した。そして協調介入から約2ヶ月後、米ドル/円は協調介入前の高値である146円を超えた。

日米協調介入でも円安は終わらなかった。そして日本の通貨当局も、協調介入以降は米ドル売り・円買い介入を行わなかった。それはまるで、円安阻止を諦めたようでもあった。日本は金融危機に陥り、「円の下落はもはや止められない」という「絶望の円安」との見方が広がった。書店には「150円は通過点に過ぎず、200円の円安もあり得る」などの内容の本が平積みされ、資産防衛の観点から外貨預金も急増した。ところが、こうした中で円安は突然、幕を下ろした。

「絶望の円安」の幕を引いたのは米ドルの「自滅」

1998年8月、ロシアが自国通貨のルーブルを切り下げた。これを受けて、ノーベル経済学賞受賞者の2人を擁したヘッジファンド、LTCM(ロングターム・キャピタル・マネジメント)に巨額の損失が発生した。これをきっかけに「ヘッジファンド危機」という米国株急落が起こった。するとそれを回避するために、FRB(米連邦準備制度理事会)は9月から3ヶ月連続利下げを行った。そうした中で、日米金利差(米ドル優位・円劣位)は急縮小に向かい、それが米ドルの急落をもたらしたのだった。

米ドル急落のクライマックスは1998年10月だった。10月6~8日に、米ドル/円は一日で10円程度の暴落を3営業日繰り返した。きっかけは、ある大手ヘッジファンドが円売りポジションで巨額の含み損を抱え、その投げ売りへの懸念だった。150円は通過点、200円も時間の問題とされた円安は、あっという間に110円まで円高に戻すところとなった。

1998年当時のグリーンスパンFRB議長は、米経済について「永遠に終わらないオアシスはあるのか」と語ったことがあった。この発言が示すのは、1998年の「絶望の円安」の裏側に、「オアシスのような絶好調の米経済」を受けた米ドル高があった、ということだろう。そして、グリーンスパンFRB議長が懸念したように「オアシス」は終わりを迎えた。米ドルは急落に転じ、それは「絶望の円安」を豹変させた。つまり、「絶望の円安」は、米ドルの自滅により終止符を打ったのだった。

【図表】米ドル/円の推移(1995~1999年)
出所:LSEG社データよりマネックス証券が作成