◆こどもの頃、我が家の家訓は「ぜいたくは敵だ」であった。質素倹約に努め、清貧の暮らしに耐えたが一向に家計は楽にならなかった。先日の日経新聞・大機小機に掲載された「貨幣はぜいたく品」というコラムを読んで、その理由がわかった気がした。貨幣はぜいたく品であったのだ。それを「敵視」していては、おカネがたまるわけがない。
◆同コラムは、こう述べている。<世界的に長期にわたって貨幣の流通速度が低下している事実がある。同じことだが国内総生産(GDP)に対する貨幣量の比率「マーシャルのk」も一貫して上昇している。(中略)手元に置く貨幣需要量は一貫して上昇している。ミルトン・フリードマンはこの現象を指して「貨幣はぜいたく品である」と言った。貨幣は所得の上昇と共に需要量の増加する財だというのである>。(9月25日 日本経済新聞・大機小機「貨幣はぜいたく品」)
◆こども時代に倹約を強いられた反動で、おとなになって自分で給料を稼ぐようになったら一転、浪費癖がついた。とくに、バブル華やかなりし頃に証券会社に就職したものだから、その傾向に拍車がかかった。バブルが弾けて20年以上経ったいまもその浪費癖が抜けない。おかげで一向におカネがたまらない。これは前段の理屈と矛盾するではないか。「ぜいたくは敵だ」とぜいたくを嫌ったために、ぜいたく品である貨幣は逃げていった。では、積極的にぜいたくを追求したら ‐ やっぱり、おカネは逃げていくのである。
◆「貨幣というのはくだらないものを使うべきなんですよ」とは岩村充・早稲田大学商学研究科教授の弁である。「なぜかというと、他に役に立つものを使うのはもったいないからです」。例えば、食べられるものを貨幣にして交換とか価値尺度に「しか」使わないというのはもったいない。できるだけ他の形では世の中の役に立たない、しかも邪魔にならないものを使うべきである。金(きん)が相対的には合格なのは、見栄えのよさのわりに使いようがないからである。
◆その伝で言えば、貨幣にしてもまったく実物的な損失がないというのが「信用」であると岩村教授。確かに、現在の貨幣は「信用」である、と言えるだろう。そうすると、始めに戻って、貨幣=信用はぜいたく品か、くだらないものか?頭を抱えてしまう。ひとつだけ言えるのは、カネは天下のまわりもの、ということである。そのわりには、いつまでたっても僕のところにまわってこないのはなぜだろう?
マネックス証券 チーフ・ストラテジスト 広木 隆