◆ストラテジーレポートや小欄「新潮流」を書いたりするのが主たる仕事のひとつであるので、自分は曲がりなりにも「もの書き」の端くれだと自負している。であるからには少しでもましな文章が書けるよう勉強は怠らない。文章術の教科書は片っ端から読む。古典の部類では谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫、丸谷才一らの『文章読本』。読売新聞の名コラムニストだった竹内政明さんの著作はすべて愛読書だ。

◆僕はこうした人たちに私淑している。私淑とは、「直接には教えを受けられないが、その人を模範として慕い学ぶこと」。つまり、バーチャルで勝手に「弟子入り」しているわけである。最近新たな弟子入り先が増えた。朝日新聞の名物記者だった近藤康太郎さんだ。近藤さんは九州の山奥で猟師兼百姓をする傍ら文章塾も開いておられるそうだが、通うのは到底、無理なので例によって私淑‐バーチャル弟子入りだ。

◆近藤さんの著書『三行で撃つ』の1発目は本のタイトルにもなっている「三行で撃つ」。文章は書き出しが重要、最初の一文、長くても三行くらいで読者の心を打たないと続きは読んでもらえない。なるほど。参考になる教えは多々あるが、唸ったのは第22発「文章、とは」である。義憤にかられて文章を書くことはある。しかし、その正義は伝わるか?私たちが磨くべきは一刀両断する正義の剣ではない。糾弾調の文章ではだめだ。伝える、伝わるためには笑い、ユーモアが大事だと。

◆ワクチン接種の遅れだけではない。コロナ禍があぶり出した日本社会のありとあらゆる「劣化」に腹が立ち、「日本はダメだ、この国は終わっている」と憤りをぶちまけていた。土曜日にオンラインで開催した「マネックス全国投資セミナー」でも同様の発言をした。お客様からのアンケートに「広木さん、そんなに怒らないで」とあった。自分の大人げのなさを恥じた。『三行で撃つ』は全25発。猟師でもある近藤さんによる散弾銃の喩えだ。その弾はまさに僕の心に刺さった。射貫かれた。

◆昔はおもしろいことも書けた(例えば第19回「13日の金曜日」)。ところがどうだろう、最近では批判、文句、嘆きばかりだ。そんなものを読まされる読者だっていい気分ではなかろう。一から出直しだ。そう思うものの、今回の「新潮流」も書き出しの三行は凡庸だし、全体にユーモアの欠片もない。私淑とはいえ、不肖の弟子の至らなさ。ああ、また嘆きだ!