1.香港デモ抑止に中国武力行使
香港のデモに参加している人々には、おそらく自覚がないだろうが、彼らの行為は資本主義に対する反抗である。この見方が正しいとすれば、彼らは無意識のうちに(中国の表向きのイデオロギーである)社会主義を礼賛していることになる。強烈なアイロニーである。
発端は確かに逃亡犯条例だった。一国二制度を維持せよ、香港の民主化を守れというのがデモのスローガンだった。自由を愛する国際都市・香港の市民が、監視国家・中国に反発を強めている ‐ そんな構図に見えた。しかし、これほど長期化かつ過激化していることを考えれば、この「反乱」の本当の理由は、経済格差拡大による社会への不満であり怒りであろう。香港の不動産価格の高騰は世界でも群を抜き、一般大衆はまともな住居で暮らせなくなっている。所得の中央値に対する住宅価格の中央値の比率は20倍を超え、2位のバンクーバーに倍の差をつけている。住宅取得が圧倒的にunaffordableなのだ。20倍ということは、例えば年収が500万円なら住宅価格は1億円するということだ。これでは誰もまともな家を持てない。
デモが長期化・過激化することで香港経済は低迷し、不動産価格も下落している。そうした意図が群集心理にあるとは思えないが、結果的に彼らの行為は自らの不遇を改善に向かわせようとする方向に一致している。と同時に、デモによる破壊行為は富の蓄積の結果である不動産価値を棄損させ、一部の資本家だけが占有している富を暴力によって破壊しているとも映る。
象徴的だったのはHSBCの一部店舗も破壊対象にされたことだ。植民地時代の宗主国、英国資本の巨大銀行である。香港島のビジネスの中心地、セントラルにあるHSBCの香港本店ビルは52階建ての威容を誇りランドマークとなっている。その1階部分は吹き抜けになっていて、ビクトリア・ピークからビクトリア・ハーバーに流れ込む龍脈(竜の通り道)を開けている。この建物を設計した気鋭の英国人建築家ノーマン・フォスター男爵は、ちゃんと中国の風水を取り入れたのだ。香港上海銀行のビルは西洋と東洋の融和の象徴である。それはまた、英国の植民地支配の象徴であるとともに、その支配下で自由な発展を謳歌した香港経済成長の証であった。英国資本と、さらに言えばアングロサクソンの資本主義とインターナショナルな香港の「立ち位置」がうまく融和した結実であった。しかし、その古き良き時代の象徴であるHSBCをもデモ隊は破壊対象としたのであった。それが核心である。アングロサクソン資本主義とグローバリズムの否定にほかならない。
いくらデモや破壊行為を繰り返しても格差は埋まらない。しかし、デモや破壊行為で経済の足を引っ張り、富裕層・資本家の富を減じさせることで「方向」としては<結果的に>格差縮小に向かわせようとしている。より格差のない社会、より平等な社会を志向している。つまり社会主義礼賛である。
自由放任な資本主義は必然的に勝者と敗者、「持てる者」と「持たざる者」を生む。近年の資本主義はWinner takes all(勝者総取り)だからますます両者の格差は拡大する。行き過ぎた資本主義の帰結が、いま香港で起きていることかもしれない。
マルクスは『資本論』の結論として、資本家による搾取は労働者の反乱を招くと予言した。実際には労働者も豊かになったため反乱は起きず、マルクスの予言は外れたといわれてきた。しかし、いま香港で起きていることはマルクスの予言通りではないか。マルクスの予言が、仮にも共産主義を標榜する中国の領土の一部で起きている。なんというアイロニーだろう。
今後の展開についてふたつのシナリオがある。ひとつは中国政府が静観を続けるというシナリオだ。香港の暴動の深層的な要因が行き過ぎた資本主義の歪みにあるなら、それこそ中国には好都合である。レッセフェールではうまくいかないことの証拠だから、国家資本主義、いや管理国家&監視社会資本主義が有効なのだと主張できるだろう。よって、しばらく放置して民衆が飽き、疲れるのを待つというスタンスをとるだろう。
もうひとつのシナリオは、香港の経済価値の低下が看過できず、また国家としてのコントロール不全をいつまでも世界にさらしておけないと強硬策を強める可能性だ。その場合、中国政府に意図はなくても偶発的に大きな衝突が起きないとも限らない。実際にはどうあれ、中国が武力によってデモを鎮圧した(とみられるような)事態になれば、「天安門の再来」である。
それは「ブラックスワン」だ。実際に起こる可能性は非常に低い。しかし、万が一、起きれば尋常でない衝撃が世界に走るだろう。
2. E-人民元の登場 ドルの基軸通貨の座を脅かす ‐ 米中対立激化
中国では昨秋に成立した「暗号法」が1月1日から施行されている。デジタル人民元の発行はもう秒読み段階だ。いったい、どういうことが起こるだろう。識者の意見が参考になる。前財務官でアジア開発銀行(ADB)総裁に近く就任する浅川雅嗣氏はインタビューでこう述べている。「まずデジタル人民元の当面の目的は資本規制の強化だろう。人民元の流出圧力は2014年から続いている。野放図にすると経済への打撃が大きいので、人民銀は外国為替市場への介入で、人民元の下落速度を調整しようとした。ただうまくいかず、資本流出への規制強化を図ってきた。人民元のデジタル化も、まずは人民元レートの安定管理に役立てる側面が大きいはずだ」「将来的にデジタル人民元を『一帯一路』への参加国などに広めるという構想は、中期的な絵姿として可能性はある。デジタル人民元という非常に中央集権的なガバナンスを持った通貨システムが世界に浸透してきた場合、ドル基軸通貨とぶつかることはあり得る」「自国の金融政策が国民からの信頼を完全に失っている国では、長期的に自国通貨に代わってデジタル人民元を使う国が出てくるかもしれない」(1/7 日経「逆境の資本主義」)
LIBRAの構想を世界の規制当局(あるいはエシュタブリッシュメント層)が「よってたかって」潰したのは、裏を返せばそれだけ潜在的な脅威が大きかったからにほかならない。法定通貨の裏付けをもったデジタル通貨は、あっというまに主権を握る可能性を秘めている。それを世界第二位の経済大国である中国が人民元でやろうというのだ。こちらはLIBRAのように「よってたかって」潰すわけにはいかない。
ドルの基軸通貨の座が危ういことは米国だって無論理解しているだろう(誰よりもわかっているのはフェイスブックのマーク・ザッカーバーグCEOだろう)。ファーウェイ問題の比ではないはずだ。e-RMBの登場は米中対立激化の新たな火種になるかもしれない。
3.トランプ大統領の再選ならず
今年7月で12年目に入ろうという長期の景気拡大と、現職の圧倒的有利さを考えればトランプ大統領の再選がメインシナリオになる。民主党の候補が絞り切れず、かつ、いずれも一長一短あり、トランプ大統領と一騎打ちで勝てるようには見えないこともトランプ再選の可能性を高くしている。
しかし、トランプ氏にも弱みがある。それは前回支持してくれた人々に報いていないという点である。ラストベルト(錆びた地帯)と呼ばれる中西部の景況感はひときわ悪化している。そもそも保護主義ではアメリカの製造業は守れない。中西部の製造業は衰退するべくして衰退しているのであって、トランプ氏の政策で救えるようなものではない。それが4年たって白日の下にさらされたとき、前回トランプ氏を支持したひとがまた彼に投票するか分からない。
ミシガン州、ウィスコンシン州、アイオワ州、ペンシルベニア州など中西部のこれらの州はスイングステート(揺れる州=激戦州:両党支持率が拮抗し、選挙毎に勝利政党が変動する州)でもある。前回は総得票数ではヒラリー・クリントン氏がトランプ氏を上回ったものの、このスイングステートを抑えたトランプ氏が大統領選を制した。
より重要なのはsuburb すなわちsub-urban(郊外)に住む中間層の投票行動だ。2018年の中間選挙では民主党が躍進したが、その原動力となったのがこのsuburb居住の中間層による民主党支持という積極的な投票行動であった。この勢いが依然として継続していることは昨年11月のバージニア州議会選挙で明らかになった。バージニアは共和・民主の勢力が拮抗するパープル・スイングステートだが、州議会選挙で民主党が28年ぶりに州議会両院で多数党の座を奪還した。
民主党候補選びは予断を許さないが、おそらくジョー・バイデン氏が候補に選ばれるだろう。バイデン氏ならラストベルトの製造業に従事する白人票をトランプ氏から奪う可能性は高い。バイデン氏はラストベルトの街、東部ペンシルバニア州スクラントン生まれだ。彼には労働者階級のために戦ってきたというイメージがある。加えて、初の黒人大統領(バラク・オバマ氏)に仕えた副大統領だ。黒人票も入る。これまで黒人層の過半数の支持なしに党の指名を獲得した候補者はいない(Financial Times エドワード・ルイス氏)。
しかし、バイデン氏が仮に民主党候補になったとして、トランプ大統領に勝てるだろうか?トランプ氏から”Sleepy Joe(寝ぼけたジョー)”と揶揄されるように、インパクトが薄い。しかし、ウルトラCがある。副大統領候補にバラク・オバマ前大統領のミッシェル夫人を擁立するという案である。昨年11月に刊行されたミシェル・オバマの回顧録『Becoming(ビカミング)』は全世界で1000万部以上売れている。ツイッターのフォロワー数は1330万。昨年2月のグラミー賞授賞式のステージにはレディー・ガガとジェニファー・ロペスと手をつないでサプライズで登場し、オーディエンスから総立ちで歓声を送られた。ミシェル人気は絶大である。現在はミッシェル側が固辞していると伝わるが、今後予備選を通じてバイデン氏の可能性が高まればわからない。頭の片隅に入れるにはじゅうぶんな材料だ。
トランプ大統領の弱みとして前回支持してくれた人々からの票が今回はそれほど獲得できないのではないか、と述べた。そのひとつがラストベルトの人々であり、もうひとつがキリスト教福音派である。
先般のイラン革命防衛隊のカセム・ソレイマニ司令官殺害はアメリカ国民のおよそ4分の1を占めるアメリカ最大の宗教勢力、キリスト教福音派へのアピールだったのではないかと考えている。彼らの信仰の柱とも言えるのが「ユダヤ人国家イスラエルは神の意志で建国された」とするイスラエルへの支援だ。
キリスト教福音派は前回の大統領選でトランプ氏当選の原動力となった。その見返りが、エルサレムの首都認定と米国大使館の移転だ。福音派との蜜月関係の維持が、再選を狙うトランプ大統領の必須の課題であることは明白である。ところが、福音派の有力誌『クリスチャニティー・トゥデイ』は先月掲載した社説で、弾劾訴追されたトランプ氏の罷免を主張したのである。同誌は、トランプ氏が政敵の評判を落とすために外国首脳に働き掛けたことは「憲法違反というだけでなく、極めて不道徳だ」と批判した。これにトランプ大統領は焦りを感じたのだと推測される。
大統領選イヤーの今年最初のトランプ氏の集会は、フロリダ州マイアミの教会でキリスト教福音派を集めて開かれた。その集会が開催されたのが3日、イラン革命防衛隊のソレイマニ司令官を殺害したのと同日である。イラン革命防衛隊のソレイマニ司令官を殺害し、イランとの対立の構図を際立てることで、イランと敵対するイスラエルへの肩入れ姿勢をアピールしたのではないかとも勘ぐれる。
イランとの話は一旦脇に置くとして、ポイントは福音派の有力誌『クリスチャニティー・トゥデイ』のトランプ批判だ。もちろん福音派の中にもいろいろな派閥(?)があるのだろうが、『クリスチャニティー・トゥデイ』の主張は福音派の人々に一定の影響を与えるだろう。トランプ大統領の弾劾は成立せず罷免はされない。しかし、弾劾訴追そのものは福音派からの票の獲得にとって明らかに障害となるだろう。ここが「トランプ弾劾」を評価する際の盲点である。
(次週に続く)
>>(後編はこちら)「2020年の10大リスク 後編」