船乗りと副大統領
米国副大統領に関して次のような有名なジョークがある。
- あるところに2人の兄弟がいた。1人は航海に出かけ、もう1人は副大統領になった。その後2人の行方を知る者はいない。
この皮肉めいたジョークが示すように、少なくとも20世紀半ばまで米国副大統領とはその地位に反してきわめて存在感の薄い役職だった。「副大統領とは人類が発明した最も重要でない公職である」(初代副大統領ジョン・アダムス)や、「副大統領の仕事とは毎朝ベルを鳴らし大統領の健康状態を訊ねることだ」(トルーマン元副大統領・元大統領)など、副大統領の影の薄さを示すエピソードは数えきれない。実際、憲法上で規定された副大統領の役割は極めて限定的なものである(図表1)。
21世紀の副大統領:異なる個性を発揮
しかし、そうした影の薄い副大統領のイメージは特に21世紀に大きく払拭された。チェイニー(ジョージ・W・ブッシュ政権)、バイデン(オバマ政権)、ペンス(トランプ政権)という3人の副大統領は、それぞれが全く異なる形で存在感を示している。昨年公開された映画『バイス』の主役にもなったチェイニーは、「影の大統領」とも評され、アフガンへの軍事介入やイラク戦争などの対テロ戦争を政権の内から主導した。一方、オバマ政権のバイデンは、在任期間中は大統領の陰に隠れてそれほど大きな存在感はなかったものの、退任後の現在、2020年大統領選挙の民主党候補筆頭として注目を集めている。第二次大戦後、副大統領が大統領選挙に立候補することはほぼ慣習化しているが、実際に選挙に勝ったのはジョージ・H・W・ブッシュとニクソン(但し任期直後はケネディに敗北)の2名のみである。バイデンが戦後3人目の当選者になれるかは要注目である。
ペンス:対外政策で発揮される存在感
では、現職の副大統領ペンスはどのような役割を担っているのか。政界と無縁の実業家であったトランプ大統領に対し、ペンスは下院議員、州知事を歴任した政治経験の豊富な人物だ(図表2)。2016年の選挙でもペンスがランニングメイトに選ばれた理由は、トランプの政治経験不足を補う意味があった。
ただ、ブッシュ政権のチェイニーのようにペンスが政策決定段階で力をふるっているという話はあまり聴こえてこない。むしろ、ペンスは外遊や国内での講演を通して政策メッセージを内外に伝える「伝道師」としての役割を担っている。昨年10月のハドソン研究所での対中政策演説はその典型で、米中「冷戦」を宣言する出来事とも評されるほどの衝撃を生んだ。破天荒なトランプ大統領と比して穏健派と見られがちなペンスだが、福音派などの宗教保守を背景とした教条的ともいえる強い政治思想の持ち主で、トランプとは異なる形だが支持・不支持が大きく分かれる人物である(図表3)。
無視できない「副大統領たち」の動き
21世紀の3人の副大統領は、憲法上の規定にない「非公式」な活動領域を活用することでそれぞれ独自の存在感を築いてきた。政界の第一線を退いたチェイニーを除いても、バイデンは民主党の有力候補、ペンスは現職大統領のランニングメイトとして2020年の大統領選挙に参加する見込みだ。トランプ大統領の強烈な個性に隠れがちだが、彼らの言動が米国のみならず世界情勢やマーケットに及ぼす影響は、特にこれから1年は注目する必要があるだろう。
コラム執筆:坂本 正樹/丸紅株式会社 丸紅経済研究所