先週の金曜日に、マネックスメールを一営業日も休まず出し続けて20周年を迎えた話を書きましたが、石の上にも3年と云いますが、20年はやはりそれなりの長さのようです。と申しますのも、先日或る場所で茗荷御飯を食べて、これがすこぶる美味しくて、茗荷を食べると忘れやすくなると云うけれども何でだったっけ?と考えるとクリアに思い出せず、その語源を調べたのです。

お釈迦様の弟子の中で、一番愚かな者に、シュリハンドクという者がいた。彼は愚かで自分の名前を覚えることすら出来なく、自分の名前を書いた札を背負っていた。ハンドクが自分の愚かさを泣いて、釈迦の弟子を辞めようとすると、釈迦は「悲しむ必要はない。お前は自分の愚かさを知っている。世の中には賢いと思っている愚か者が多い。愚かさを知ることは最も悟りに近いのだ」と云い、ホウキを渡し、「チリを払わん、あかを除かん」の言葉を与えた。ハンドクは掃除をし続け、「チリを払わん」を覚えると「あかを除かん」を忘れ、「あかを除かん」を覚えると「チリを払わん」を忘れた。そうして20年間掃除を続けた。

すると子供が掃除したばかりの所に入って来て汚してしまった。ハンドクはうっかり怒鳴ってしまうのだが、その時ふと、こんな所が汚れている筈がないと思っていた所が汚れているのに気が付いた。そしてまた、どんなモノも人の心も、一旦は綺麗であってもすぐに汚れてしまうこともあるのだと気付いた。即ち、悟りを開いたのであった。このシュリハンドクが死んだ後に、その墓から生えてきたのが茗荷。名前札をかついでいたハンドクに因んで付けられたものであると。

なーるほど。お釈迦様のスケールでも、20年同じことを続けることは、それなりに意味のあることなのだと知って、マネックスメールもこのつぶやきも良くやってきたなぁと、今更ながら、そして自画自賛丸出しでお恥ずかしいことではありますが、思ったのです。しかし私たちは何か悟りを開いたでしょうか?うーむ。もっと修行します!