山の形は概ね線対称です。これは粒子が集まった自然な地殻活動の結果として、そう云う形になるのが当然なのでしょう。即ち、泥の塊をザァーッとダンプから落とせば、当然ほぼ線対称の山が出来るのと同じようなことです。マーケットの活動も、無数の経済主体の行動の集積であると考えれば、山の形に共通するところがあるのではないでしょうか。即ち、山が高ければ、その後の下りも大きくなります。山が高いほど尾根は長く、それは頂上までの道のりもそうですが、頂上を超えたあとの道のりも同様です。
「サブプライム問題はもう終わったと思いますか?」-そう云った質問をよく受けます。私は、既に問題のピークは過ぎていると思います。しかしだからと云って、急に全ての問題がなくなる訳ではありません。頂上を越えても、長い尾根を下って行かねば平地までは辿り着きません。しかも尾根は、真っ直ぐのなだらかな道ではなく、「また次の山か?」と一瞬思うほどのコブや凸凹もあるでしょう。しかし頂上に至るまでのプロセスと、そこから降りていくプロセスは根本的に違うものです。
ただ、山の形は線対称ではありますが、それに対応する人の営みは対称とは限りません。古からの峠の創られ方を見ると、山を挟んで文明の伝播した元の側からの道は、川伝いになるべく奥まで緩く進み、最後に頂上目指して険しく登るものです。そして一旦頂上まで上がると反対側の尾根をよく見晴らして、その尾根の上をなだらかに、平均的に下って行くものです。つまり線対称な形の山に対して創られる峠の形は、線対称ではないのです。そして文明のあった側、発見する側が、途中で急にいきり立つ形になります。
マーケットも同様かも知れません。問題は元からある訳ですが、楽をして進もうとするので、行き詰まってしまうギリギリのところまで問題を認識しません、或いは見ようとしません。そこから急激なストレスが走ります。そしてピークを越えて、逆に正常化していくプロセスは、頂点までのプロセスよりも時間が掛かるでしょう。しかしそれは尾根を下るプロセスですから、楽なプロセスです。ここにピークの前後で質的に大きな違いがあります。私の見立ては間違っているかも知れません。しかしそんな見方で、今迄の、そしてこれからのマーケットを捉えてみるのも興味深いことだと思います。