10年以上ぶりに、韓国の首都ソウルを訪れる機会を得ました。
私が初めて韓国を訪れたのは1987年、まだ学生だった頃です。最も強烈に記憶に残っているのは空港の光景でした。マシンガンを抱えた軍人がチェックポイントに立ち、厳しい警備態勢が敷かれていたのです。
さらに、飛行機が金浦空港に近づくと「窓から景色の写真撮影は禁止」というアナウンスが流れました。安全が当たり前の日本から来た私にとって、それは強い違和感を覚えるとともにこの国が北朝鮮と「停戦中の戦争状態」にあるという現実を突きつけられる瞬間でもありました。
もう一つ当時を振り返って印象的だったのは、物価の安さです。食事も買い物も日本と比べものにならないほど低価格で、韓国経済がまだ発展途上にあることを肌で感じました。ところが今では、一人当たりGDPでは日本を上回り、街を歩けば物価水準もほとんど同等、むしろ高いと感じる場面さえあります。数十年という短い時間での変化は、韓国経済の成長の力強さを如実に物語っています。
そして今回の旅では、やっと中学生の時からの念願だった韓国と北朝鮮との間に位置する非武装地帯(DMZ)を訪れることができました。ここはソウルからバスでおよそ1時間。世界中から訪れる観光客向けの施設が整備され、建物の屋上からは国境の向こうに位置する北朝鮮の様子を望むことができます。双眼鏡を覗けば、DMZの向こう側の北朝鮮の国旗、そして道を歩く人々、自転車に乗って生活をしている人々の姿まで見えるのです。そこでは国民の分断の現実が否応なく突きつけられていました。
また、この地には1970年代以降、北朝鮮がソウル首都圏奇襲を狙って掘った地下トンネルが存在します。これまでに4本が発見されており、そのうち「第3トンネル」は観光用に公開され、実際に内部を歩くことができます。狭く暗い通路を進む中で、国境とは単なる地理的な線ではなく、戦争と直結する脆く危うい存在であることを実感しました。
ここにあるのは、決して越えることのできない国境なのです。
私はこれまでに82ヵ国を訪れ、多くの国境を越えてきました。アメリカでは北にカナダ、南にメキシコ。ヨーロッパでは車で数時間も走れば、言語も文化も異なる国に入ることができます。そこには国境を越えることが、ある種の「日常の延長」として存在しています。
しかし今回のDMZ訪問は、そうした経験とはまったく異なるものでした。この国境は「過去の戦争の記憶」と「現在の緊張感」とを同時に内包する重い存在なのです。
そして、この地を訪れて私が最後に強く思ったのは、ただひとつの願いです。世界のあちこちではいまも不要な戦いが続き、尊い命が失われています。そんな現実があるなか、朝鮮半島に横たわるこの国境が、いつの日か緊張と戦争の象徴ではなく、交流と平和の象徴へと変わっていくことを、心から願ってやみません。
