バークシャー・ハサウェイの株主総会が開かれる週末、オマハの街は普段の穏やかさとは一変し、熱気と興奮に包まれます。ウォーレン・バフェットとグレッグ・アベルの質疑応答を目当てに、世界中から4万人を超える投資家たちが、この静かな中西部の街に押し寄せてくるのです。
そんな熱狂の渦の中で、僕が毎年密かに楽しみにしているのが、ウーバーの運転手との会話です。というのも、彼らの中には、実際にバフェット氏と接点を持ったことがある人や、バークシャー傘下の企業で働いた経験を持つ人が少なからずいるからです。
そうした語り口からは、メディアでは決して触れられない、地元ならではの視点で語られる“もう一つのバークシャー像”が浮かび上がってきます。それは、決算書やIR資料には決して載らない「もう一つの株主総会」であり、私にとってはオマハ訪問の大きな醍醐味の一つなのです。
「僕は昔、リンゴだった」
その日、ホテルからダウンタウンの会場へ向かう車中、デリックという60代後半の運転手と出会いました。気さくな人柄の彼と話すうち、彼がかつてバークシャーの年次総会のイベントスタッフとして働いていたことがわかりました。
「どんな仕事をしてたんですか?」と尋ねると、彼は少し笑ってこう答えました。
「リンゴになってたんだよ。」
「えっ、リンゴですか?」
そう、彼は2002年にバークシャー・ハサウェイが買収したTシャツやアンダーウェアなどを製造・販売する「フルーツ・オブ・ザ・ルーム」の展示ブースで、文字通り“フルーツ”──リンゴの着ぐるみを身にまとい、来場した株主たちと記念写真を撮っていたのです。 バークシャーの総会は、単なる株主説明会ではありません。SEE’S CANDIESの試食、GEICOのヤモリのマスコット、BNSF鉄道の模型──企業の“体験型ブース”が並ぶ一大フェスティバルなのです。
「暑くて汗だくだったけど、子どもたちは喜ぶし、親たちも写真を撮りたがる。いい思い出さ。」
その言葉が、妙に心に残りました。バフェット氏が壇上で3時間も質問に答える“資本主義の祭典”の裏で、誰にも注目されない“リンゴ役”のデリックが、人々の体験を支えていたのです。
「バフェットさんも見に来てくれたよ。リンゴ姿の俺と一緒に写真を撮ってくれたんだ。」
冗談かと思いきや、デリックは真顔です。バフェットは裏方のスタッフにまで敬意を払う人である──そんな話は聞いたことがありましたが、こうして「リンゴ姿の男」にまで声をかけていたというのは、バフェットさんらしさの真骨頂でしょう。
翌年のデリックの“任務”は、株主向けのプロモーションビデオの撮影現場でマイク係。「映像には俺の顔は映ってないけど、マイクを持つ俺の手は写っていたんだ」と笑いながら語る彼の横顔に、僕は「もう一人のバークシャー・ファン」の姿を見た気がしました。
もう一人、印象的な運転手がいました。名をボブといい、寡黙で控えめな雰囲気の人物でしたが、バークシャーの話になると急に口数が増えました。
「昔、同僚に言われたんだよ。バークシャーの株、買っとけって。」
時は1988年。彼が建設業に従事していた頃、現場の同僚がバークシャー傘下の工事案件に関わっていたそうです。ある日、その同僚がこう言ったといいます─「この会社はただ者じゃない。株を買え。」
当時の株価(注:バークシャーA株)は3,000ドル程度。今から見れば信じられない水準ですが、ボブはこう思ったといいます。「株なんて、テレビの中の金持ちがやることさ」と。
1年後、株価は4,000ドルを超えてきました。同僚はふたたびボブに言ったそうです。
「今度こそ、借金してでも買った方がいいぞ。」
だが、ボブの答えは変わりませんでした。
「借金してまで株を買うなんて、そんな気は全くなかったね。」
それから36年が過ぎました。2025年現在、バークシャーA株は75万ドル(約1.1億円)を超えたのです。4,000ドルで買っていても、187倍を超えています。文字通り人生を変えるチャンスでした。
「後悔してないんですか?」と私が聞くと、ボブは少し笑ってこう言いました。
「いや、してないさ。そもそも俺には投資というものに興味がなかったし、しようとも思わなかった。だからしょうがない。でも、今もあの時の会話は忘れてないんだ。」
人には誰しも「逃したチャンス」があります。しかし、それを「後悔」として抱えるか、「物語」として語れるかで、人の表情はまるで違うのです。ボブは後者でした。
「こうして知らない人と毎日話せるのが、俺は好きなんだ。」
そんな彼の言葉が、胸にしみました。
バークシャーの株主総会は、投資家にとって学びと示唆の宝庫です。
ですが、その舞台の裏では、リンゴの着ぐるみを着て投資家を笑顔にするスタッフがいたり、かつてチャンスを逃した運転手がそれでも人生を楽しんでいる。
株価や財務諸表にはでてこない、「人間の物語」を聞かせてくれるのが、オマハ訪問の魅力の一つであり、そうした人たちの物語に耳を傾けること──それもまた、投資家としての視野を広げてくれる大切な旅の一部なのではないでしょうか。