4月×日、介入との攻防劇が始まった

4月×日: 米ドル/円は高値を更新、ついに152円を超える上昇となった。そのままスルスルっと上昇し、153円突破に近づいた時だった。突然下落に転じると、あっという間に値が飛んで、端末の表示は150円割れに迫る数字となっていた。どうやら、日本の通貨当局による米ドル売り・円買いの市場介入があったようだ。

この介入方針は、すでに3月27日に行われた財務省、日銀、金融庁の三者会合までに決定されていたものだった。この日、米ドル/円は2022年10月21日に記録した高値の151.9円をわずかながら更新した。その直後に臨時の緊急開催となった三者会合では、「最近の円安の進展はファンダメンタルズに沿ったものとは到底言えず、円安の背景に投機的な動きがあることは明らか」として、さらなる米ドル高・円安に対しては米ドル売り・円買い介入を行う方針が確認され、それが実行されたのがこの日だったのである。

米ドル/円は、その後も荒い値動きの中で下値を切り下げる動きが続き、150円の大台を割り込んだ。そのタイミングで、「神田財務官が米ドル売り・円買い介入を行ったことを確認」という報道が流れると、新たに米ドル/円の下落が拡大、短時間のうちに148円割れに迫る動きになっていた。

この背景には、日本の通貨当局が数兆円に上る大規模な米ドル売り・円買い介入を展開していたことがあった。また、この時の通貨当局には、この局面においてどこまで米ドル安・円高に押し戻すかといった戦略的目標もあった。

通貨当局において、為替介入の陣頭指揮を執るのは財務省国際局為替市場課だ。現在の為替政策の実質的な責任者である神田財務官が、2003年1月から2004年3月にかけて展開した円高阻止介入局面の際に幹部として在籍していたのもこの為替市場課だった。

この為替市場課のスタッフの情報収集から、代表的な投機筋であるヘッジファンドの大勢は、大きく米ドル買い・円売りに傾斜したポジションについて、148円を割れると損益確定を本格化する可能性が高いとの結論が得られていた。このため、「投機の米ドル買いvs介入の米ドル売り」といった攻防劇においては、148円割れまで米ドル安・円高に押し戻すことができれば、少なくとも代表的な投機筋であるヘッジファンドが米ドル買いからの撤退に動き出すことで、投機の米ドル買い・円売り圧力は大きく後退する、それが出来るかが最初の勝負所と考えていたわけだ。

これは、前回2022年9~10月の介入局面との大きな違いだった。当時の米ドル高・円安は、約40年ぶりの本格的なインフレへの対策で米国が大幅な利上げに動いたことが主因だったが、その終わりが見えない中で米ドル/円は1998年以来の140円を超える上昇となっていた。これは日本経済にとってデメリットの方が多い「悪い円安」として株安要因にもなる中で、円安を放置したままではいられなかったのが、この時の介入を決断した「本音」だった。

この結果、2022年9月22日に行われた最初の米ドル売り・円買い介入は2兆円もの巨額資金を投入し、一旦は145円台から140円台まで大きく米ドル安・円高に押し戻したものの、投機筋の米ドル買いは一向に引かず、結局その日の引けにかけては142円台まで米ドルは大きく反発した。

そして翌10月には、介入を始めた水準である145円を超えて、米ドル/円は一段の上昇に向かった。米利上げ局面が続く中で米ドル高・円安を止めることの困難さは分かっていたものの、改めてそれを痛感させられた介入局面だったのである。

ただ、今回は2022年の状況と違った。すでに米利上げは2023年7月で終了した可能性が高かった。そうした中で、日米金利差米ドル優位も、2022年10月、そして2023年11月に151円まで米ドル/円が上昇した時ほどには拡大しなくなっていた。

にもかかわらず、米ドル/円が再び150円を大きく超えてきたのは、投機筋の行き過ぎた米ドル買い・円売りが主因である。かくして通貨当局内では、今回の場合投機筋の米ドル買いを転換させられるかが焦点との判断になっていた。

介入が続く中で米ドル/円は148円を割り込んだ。ここまでは、当局の内部的な目標通りの動きだった。ただしここで、米ドルの「押し目」を待望した日本の個人投資家の米ドル買いが活発化、米ドルは反発に転じた。ところが、148円台に入ると米ドルの上値は重くなった。しかし、それは執拗な日本の当局による米ドル売り介入ではなかった。投機筋であるヘッジファンドが、大量の米ドル買いポジションの手仕舞い売りに動き出していたのだった。

こうして、「投機の円売りvs介入の円買い」の構図は、「日本のアマチュアの円売りvs海外のプロの円買い」に変わりながら、148円を巡る攻防となっていった。

※今回のコラムは、円安阻止介入再開となった場合の展開について、過去の事実などをもとに想像(イマジネーション)したものであり、現実に存在する機関や人物の役割も想像に過ぎません。