◆昨日の小欄で七草粥について「ぺんぺんぐさの入った粥など食べたくない」と書いたら、「なんと無粋であることか!」とお叱りを受けた。春の野に出て野草を摘むのは古式ゆかしい日本の伝統である。風雅な趣を尊ぶべし、というわけだ。春菜(または若菜)摘みは万葉の時代からの習わしである。百人一首にも歌われている。

君がため 春の野に出でて 若菜つむ わが衣手に 雪は降りつつ (光孝天皇<古今集 春上>)

春なのに雪?ここでいう春はポカポカ陽気の4月ではない。この春は新春、すなわち正月である。暦は春でも厳寒の時期。雪が降るのも当然である。

◆無粋ついでに言わせてもらうと、春の七草のなかで芹(せり)だけはなじみがあると述べたのは鴨鍋を食べるときに芹は欠かせないからだ。「鴨がネギをしょってやってくる」という言い回しがあるくらいだから、鴨鍋にはネギではないかと思われるだろう。しかし、誰がなんと言ったって鴨鍋には芹が合う。江戸時代から鴨鍋といえば芹だったのだ。

◆カジノに行ってポーカーのテーブルに座る。まずするべきことはカモを探すことだ。30分経っても、カモが見つからなければ、自分がカモである。これはギャンブラーの間では有名な法則であるが株式投資についても当てはまる。株式投資をギャンブルと一緒にするな、株式投資はカモをカモるゲームではないぞ!とまたお叱りを受けそうだが、何を隠そう、あの偉大な経済学者、ケインズもそう言っているのだから間違いないことである。

◆ケインズが株式投資を美人投票に喩えたのは有名だが、実はその前段で、もっといろいろなゲームに喩えている。例えば「スナップ」「ババ抜き」「椅子取りゲーム」である。これらゲームの参加者は、回っているカードのうちどれか1枚がババであることや、音楽が鳴りやんだ時に座る椅子がひとつ足りないことをじゅうぶん知ったうえでゲームを楽しんでいる。だからケインズはこう言うのだ。「このゲームは、大衆の中に玄人筋の胃袋を養う間抜けなカモがいることさえ要しない。玄人筋は自分たち同士でこのゲームを行うことができるのである。」(ケインズ著/間宮洋介訳「雇用、利子および貨幣の一般理論」)

◆カモにならないためには、彼らのゲームに参加しないことだ。短期筋と一緒になって株価の荒っぽい値動きを追いかけて一喜一憂するようなことをしていては、いつかカモになる。それよりも、もっと本質的な価値を見出す投資を行おう。例えるなら、春の野に出でて若菜を摘むような投資である。厳寒の時期、雪の下にも若菜は芽吹く。厳しい環境のなかで、ひっそりと、だが逞しく生まれた生命力あふれる新芽を見出すこと。そういう投資機会を探っていきたいものである。

マネックス証券 チーフ・ストラテジスト 広木 隆