6年ぶりに訪れたニューヨークは、まったく変わっていないように思えた。街は相変わらず活気にあふれ、どこに行っても多くの人で賑わっていた。前回来たのはリーマン危機の前だから、その時の景気の良さは半端なものではなかった。まずタクシーがまったくつかまらない。よく白タクを利用したものだった。その点、今回は6年前に比べるとまだマシで、時間と場所によってはタクシーが拾えた。それでもつかまえにくい状況に変わりはないから、徒歩と地下鉄でほとんど移動した。よく歩いたおかげで、日本に帰って体組成計で測ったら体脂肪が500グラム減っていた。
まったく変わっていないという印象は、超エネルギッシュであるという、この街の本質的な部分に対するものであり、ご無沙汰していた6年の間に無論、変化も多くある。例えば、ハイライン跡地の空中庭園。6年前には無かったものである。
ハイライン~トライベッカ
ハイラインは、ロウワー・ウエストサイドで運行されていた高架貨物線跡を、空中緑道公園として再開発したものだ。主にミートパッキング・ディストリクト(MPD)とチェルシーにまたがるエリアである。ここが一大観光スポットとなったおかげで、MPDの開発も一気に進んだ。6年前に来た時は、MPDがちょうど注目され始めていたけれど店はまだ疎(まば)らだった。
MPDはミートッパッキングというその名の通り、精肉加工店が多く集まったエリアだった。ダウンタウンの西端という場所柄、交通の便が悪く、ハイラインの廃止後は一気に荒廃した地域であった。しかし、10年くらい前から、精肉工場跡をリノベーションしたブティックやレストランが徐々に建ち始めた。そしてハイラインの公園化&観光地化で一気に、最先端エリアへと大変身を遂げたのである。今もなお数軒残る精肉店や古いレンガ造りの建物と、しゃれたショップとのミスマッチ感が、他にはない独特な雰囲気を醸し出している。ヒップなクラブの本拠地でもある。
ニューヨーカーの流行りはルーフトップ(屋上)のバーで飲むこと。摩天楼の夜景を酒の肴に一杯飲るというのが心地よい。ウィリアムズバーグのワイス・ホテルのルーフや、ハイラインを跨いで建つスタイリッシュなデザイナーズ・ホテルのスタンダード・ホテルのルーフが大人気だ。今回は同じくハイライン沿いにあるガンズブール・ホテルのルーフ・トップ・バーへ。オープン以来、パリス・ヒルトンらセレブが連日のように訪れる。プールサイドからはハドソン川、エンパイア・ステートなどニューヨークの素晴らしい眺望が楽しめる。「セックス・アンド・ザ・シティ」に登場したホテル、ソーホー・ハウスを見下ろすことができるのも、またちょっと、いい感じである。
このプールサイドからの写真に、遠く写っているのが、1ワールドトレードセンター 。9・11の跡地、グランド・ゼロに建てられている高層ビルだ。僕が訪れたときには外観はほぼ完成していた。あとは周辺の整備を残すのみという感じである。この写真は、1ワールドトレードセンターの対面に、43階建の本社ビルを構える某投資銀行のオフィスにお邪魔した時に撮影したもの。1ワールドトレードセンターの完成はまさにニューヨークの復活、米国の復活を象徴するものといえるだろう。
その某投資銀行に勤める友人とランチを食べたのが、トライベッカにある「ロカンダ・ヴェルデ」。ロバート・デ・ニーロがオーナーのひとりとして名を連ね、超有名シェフのアンドリュー・カルメリーニが腕を振るう、ニューヨークで今もっとも予約のとれないレストランのひとつだ(写真は、ロカンダ・ヴェルデから1ワールドトレードセンターを望む)。このトライベッカというところも、昔は何もないさびれた倉庫街だった。再開発が進み、デニーロのプロデュースによる「トライベッカ・グリル」や「Nobu」などの有名レストランが軒を連ね、ウォール街から一番近い繁華街となったのは、ここ10年余りのことだ。使途のなくなった倉庫が、しゃれたロフト付アパートやギャラリーへと改築され、アーティストたちが移り住むようになったのだ。有名レストラン以外は、結構、さびしい場所である。
だから、「Ted Muehling(テッド・ミューリング)」の店もすぐには分からなかった。「テッド・ミューリング」はジュエリーやオブジェを扱うトライベッカの老舗。「ティファニー」のような大手の有名宝飾店ではないが、モダンでとてもセンスの良い品が揃っている。ニューヨークを代表するブランド<kate spade>を妻のケイトと立ち上げ、現在は様々なブランディングや広告を手掛けるアンディ・スペードも若い頃からこの店に通っていた。当時のアンディには、「テッド・ミューリング」の商品は高くておいそれと手が出せるものではなかったが、それでも年に一度は必ずここのジュエリューをケイトにプレゼントすると決めて、一生懸命お金を貯めていたという。僕もアンディを見習って妻にテッド・ミューリングのブレスレットを買った。日頃の罪滅ぼしの気持ちからだ。
NYC ニューヨーク・シティ
変わるもの、変わらないもの。<街>である以上、それらが混在するのは当然である。もうひとつ、ニューヨークが変わろうと一生懸命努力していることがある。1年前に米国東部を襲ったハリケーン「サンディ」からの復興である。ニューヨークでは広範囲で浸水に見舞われ、それに伴い停電も多発し、ニューヨーク証券取引所が休場に追い込まれるほどの被害となった。現在もまだ復興キャンペーンは続いている。合言葉は「Better Than Before(前よりももっと良く)」。テレビでCMが流れている。このウェブサイトで動画を観ることができる。
このプロジェクトはニューヨーク州知事、アンドリュー・クオモの肝いりである。ニューヨークといえば全米最大の都市であるニューヨーク市を誰もが思い浮かべる。だから、ニューヨークは州知事よりも市長のほうが有名である。9・11の時に辣腕を振るったジュリアーニ氏、われわれマーケットの人間にとって必須のツールであるBloombergを創ったブルームバーグ氏などの名前は一度ならず耳にしたことがおありだろう。ところが、クオモ氏の名前はどうだろうか?
当たり前だが、ニューヨーク市はニューヨーク州の一都市であるが、ニューヨーク州の州都はオールバニという市である。オールバニ市はニューヨーク市からハドソン川を300km(!)ほど北に遡ったところにある。300kmといったら東京から東名高速を走ったら名古屋くらいまでいく距離だ。これも当たり前だが、アメリカは広いのである。
で、そのニューヨーク市の新市長が決まった。 5日投開票のニューヨーク市長選で、民主党の新人、ビル・デブラシオ氏が共和党のジョセフ・ロータ氏を大差で破って当選した。ニューヨークといえばリベラルな印象があるが、実は民主党市長は20年ぶりとなる。ジュリアーニ前市長が2期、ブルームバーグ現市長が3期務めた後に久しぶりに登場する民主党市長だ。州知事のクオモ氏も民主党だから、これでニューヨークは州、市とも民主党出身者がトップに就くことになる。
民主党の躍進
バージニア州でも知事選が5日、投開票され、民主党のテリー・マコーリフ氏が共和党の候補を破って初当選した。このバージニアの知事選は、来秋に控えた中間選挙の前哨戦として注目されていた。だから、オバマ・バイデンの正副大統領も当然応援に駆け付けたが、テレビに流れた映像で大きく取り上げられたのはクリントン夫妻。特にヒラリーの露出が多かったように思う。
実は今回の出張でアポイントをとっていたファンド・マネージャーのひとりから直前になってアポの変更を申し入れられた。ヒラリー・クリントンのセミナーに誘われたのだという。アレンジしたのは、例のトライベッカ近くに本社を構える某投資銀行である。
そのファンド・マネージャーに会ったとき、「ヒラリーの講演はどうだった?」と尋ねてみた。印象に残ったのは、日中韓のナショナリズムの高まりに警戒心を表していた点だという。与野党の確執から連邦政府機関のシャットダウンを招くような事態となったのは米国に対する世界からの信任低下につながると憂慮を示したとも。そして国内政治のゴタゴタでオバマ大統領がTPP会合に出席しなかったことを痛烈に批判したそうである。それらはいずれもオバマ氏のウィークポイントである外交問題に関する点である。そのファンド・マネージャーは「ヒラリーは<4年後>を見据えて始動してきている」と感じたそうだ。
最近は、オバマ大統領の指導力低下をうかがわせるような事態が相次いでいる。シリア問題ではロシアに一本取られた。FRB議長の人事では、バーナンキ議長の後任に担ぎ出したサマーズ氏について、身内の民主党から大反対にあった。そして対議会では完全にアウト・オブ・コントロールである。これでは来年の中間選挙も1期目同様に大敗を喫するのではないか、との懸念がつきまとうが、そうはならないだろう。オバマ氏は弱いが、民主党は大丈夫。というか、共和党の支持率が低下している。いわば「敵失」で民主党が勝つというシナリオである。
シャットダウンを招いた議会の混乱で、共和党のティーパーティーに世間の批判が集まっている。バージニア州知事選で敗れた共和党のクチネリ氏はオバマケアを成立直後から厳しく批判。オバマケアの廃止を掲げるティーパーティーの全面支援を受けてきた人物である。つまり、共和党が弱いというより、共和党の強硬派・保守派が不人気であるのだ。事実、同じく5日に投開票されたニュージャージー州知事選では共和党で現職のクリス・クリスティー知事が民主党候補を大差で破り、再選されている。クリスティー氏は昨年のハリケーン「サンディ」災害対策でオバマ大統領と連携した。共和党内の穏健派とされる人物である。
米国の財政問題について金融市場には民主党・共和党の対立を懸念する見方が依然根強い。米議会は政府債務の上限引き上げと新年度暫定予算を認める法案を可決した。米国債のデフォルト(債務不履行)は期限ぎりぎりで回避され、一部閉鎖されていた政府機関の業務も平常通り再開した。しかしそれらは暫定的な合意でしかなく問題は先送りされただけだ。
今後の焦点は超党派委員会の財政協議に移る。超党派委が主に審議するのは、2014会計年度(13年10月~14年9月)予算案。与野党合意では政府機関再開のため1月15日までしか支出を手当てできなかったので、残る期間の予算編成を行うのだ。財政赤字削減のための財政計画や、3月に発動された歳出強制削減の見直しも協議するのだが難航必至と見られている。また与野党協議のごたごたで市場が混乱するのではないか?という危惧がマーケットでは喧伝されているが、僕は案外、楽観的だ。
なぜなら、これだけ民意がはっきりしているのだから。オバマ大統領の信任は低下しているが、民主党はしっかりしている。共和党でも穏健派は支持される。不興を買っているのはティーパーティーの強硬派である。今回のニューヨーク市長選とバージニア・ニュージャージー州知事選の結果は、共和党保守派の影響力を弱める結果になったと思う。政治家は、選挙の結果から目を背けることはできない。さすがに共和党だってバカじゃないので、前回シャットダウンにまで突入したような政治的愚行を繰り返すとは思わないのである。
中間選挙のアノマリー
政治絡みの材料で、それよりも大きな不安がある。それは中間選挙前に株が弱くなるというアノマリーである。表は1946年から米国のダウ平均の四半期リターンを大統領の就任してからの年別に集計したものだ。
もうひとつの有名なアノマリーに「ハロウィーン効果」がある。これは近年有名になっている相場格言「Sell In May(5月に売れ)」とセットになっている現象である。株式投資のパフォーマンスを半年ごとに調べると、11月-4月の6カ月間のリターンが一番良い。すなわち10月末のハロウィーンのころに株を買うのが投資成果がもっとも上がるタイミングである。11月末に投資するのが、その次に良い。
グラフ1は日経平均の6カ月リターンを1970年から投資を開始する月別に示したものだ。これは日本株のケースだが、「ハロウィーン効果」というぐらいだから、本家本元は米国株について言われている現象である。しかし、ハロウィーンがいまや日本でもすっかり定着したように、「ハロウィーン効果」はグローバルに共通するアノマリーだ。(但し、日本でのハロウィーンは単なるお祭り騒ぎでしかないし、ハロウィーンはヨーロッパではまったく普及していない。)
その意味では、足元の低調で冴えない日本株の相場は、むしろ絶好の仕込場とも言える。一方で、米国株については、「中間選挙のアノマリー」=「大統領就任2年目の第2・3四半期のパフォーマンスがもっとも悪い」ということを信じるなら、来年も「Sell In May(5月に売れ)」を意識することが重要だろう。否、第2・3四半期のパフォーマンスがもっとも悪いのだから、むしろ来年は第1四半期でいったん手仕舞うべきかもしれない。「Sell In March(3月に売れ)」あるいは遅くとも「Sell In April(4月に売れ)」ぐらいでちょうどよいかもしれない。
イエレン氏が新FRB議長に就任する翌月の来春3月には量的緩和縮小が予想されている。そのあたりで米国株もいったんの天井を打つというのはじゅうぶんありえそうなシナリオではないか。
I’m Home
それにしても6年もの間、ニューヨークを訪れていなかったとは我ながらちょっと驚きである。いろんな事情はあったにせよ、それにしても、しかし、やっぱり、6年の無沙汰は長過ぎだ。この商売を始めてからというもの、幾度となくニューヨークに来ている。そりゃあ、松本大には敵わないにしても (「またニューヨーク」ご参照)、僕だって金融の本場、マーケットの聖地、ここニューヨークが大好きなのだ。
6年前の10月下旬、今回とまったく同じ季節にニューヨークにいた。自ら立ち上げたヘッジファンドに運営上の重大な問題が発生した。それをクリアしなければファンドを閉鎖するしかない。そんな危機的な状態に陥った。藁にもすがる気持ちで単身、ニューヨークに渡ったのだった。
必死だった。外資系運用会社での職を辞して立ち上げたファンドである。こんなところで終っていいはずがない。解決策を求めてニューヨークの街中を死にもの狂いに駆け回った。
しかし - 現実はそんなに甘くない。映画やTVドラマの世界とは違って、残り時間ぎりぎりでの大逆転劇なんて起きないのである。芳しい結果が得られないまま、ニューヨーク滞在の時間は無情に過ぎていった。
そんな失意のニューヨークで、息抜きとなったのがセントラルパークを走ることであった。秋の静謐な空気が心地よく、辛い現実を一瞬、忘れることができた。だが、それも束の間の現実逃避に過ぎない。僕は下を向くことはしなかった。絶望の底に沈んでも顔は前に向けていた。6年前のあの日、僕はニューヨークに誓ったのだ。今回は夢破れてこの地を去るけれど、いつかきっと、必ずここに戻ってくると。俺はこんなところで終らない。終ってなるものかと。それが前回のニューヨークでの結末だった。
それから6年の月日が経った。僕は再び晩秋のセントラルパークにいた。夏時間(Daylight Saving Time:デイライト・セービング・タイム)が終わる直前のこの時期、ニューヨークの夜明けは遅い。朝6時でも真っ暗である。
1時間ほど走り、体温の上昇とともに陽も昇る。イーストリバー方面の空が明るくなり始めるが、高層ビルに遮られて朝日そのものは目にすることは、まだできない。それでも頬に当たる風がもうそれほど冷たく感じないのは陽が昇ったせいか、体が温まったせいか。あるいは、もっと別の精神的な要因かもしれない。
やがて - 摩天楼のビル群が朝日に染まって輝き始める。 ニューヨークの朝が、新しい一日が、始まるのだ。この光景は6年前と同じである。あの日、誓った約束を僕は思い起こしていた。いや、「思い起こす」というのは正確な表現ではない。なぜなら、忘れたことなど、ただのひと時もなかったからだ。いつも、常に、僕の胸のなかにこの誓いはあったからだ。
「俺はここに帰ってきた。約束通り、ニューヨークに、また戻ってきたんだ」
「おかえり」と朝日に染まった摩天楼の声が聞こえた気がした。ニューヨークの街が、優しく僕を迎えてくれた気がした。僕も摩天楼に答えた。I’m home, ただいま、ニューヨークと。