イーロン・マスクの「悪魔モード」は、大きな混乱を引き起こすが仕事も成し遂げる

まるでジキル博士とハイド氏? マスク氏の成功と挫折の背後にある気質的衝動

米テスラ[TSLA]のCEO、イーロン・マスク氏にとって初となる公式伝記『イーロン・マスク』(文藝春秋)が日本を含む世界で同時発売された。著者であるウォルター・アイザックソン氏は米タイム誌の編集長などを歴任した伝記作家で、2011年に発売されたアップル[AAPL]創業者のスティーブ・ジョブズ氏の伝記『スティーブ・ジョブズ』(講談社)の著者としても知られている。

アイザックソン氏は3年間にわたりマスク氏に密着し、本人をはじめ家族や友人、またビジネスパートナーたちへのインタビューを行ない、それらを通じてテスラや宇宙開発事業「スペースX」のトップとしての日々、ツイッターの買収、さらには幼少期を含むマスク氏のプライベートについても詳(つまび)らかにしている。上下巻合わせて95章まである超大作だ。

ウォール・ストリート・ジャーナルの9月13日付の記事「マスク氏の地獄からの教訓 ビジネス5ヶ条とは」によると、著者のアイザックソン氏は伝記の中で、大物実業家であるイーロン・マスク氏の成功と挫折の背後にある彼の気質的衝動を取り上げ、それを「悪魔モード」と説明した。

悪魔モードという表現は、マスク氏の11人の子供のうち3人の母親であり、アーティストのグライムスさんがインタビューの中で使ったものである。彼女は悪魔モードについて、マスク氏が暗闇に入り、頭の中で吹き荒れる嵐の内側に引きこもっている状態のことだと表現している。そしてこの悪魔モードは「多くの大混乱を引き起こすが、仕事を成し遂げることにもつながる」という。

アイザックソン氏はその様子をまるでジキル博士とハイド氏のようだと表現している。彼の暗黒面が現れるとトランス状態に入り、冷酷なまでに厳しくなるのだという。その悪魔モードが出現した具体例として、テスラが破綻寸前に追い込まれた際や2018年にマスク氏がテスラのセダン「モデル3」の生産拡大に苦戦した時のことを取り上げている。

「マスク氏は決して激怒することもなく、暴力的になることもないが、冷酷な残忍さを人々に向ける。そしてその後は自分がしたことをほとんど覚えていない。私は時々、あの人になぜあんなことを言ったのかと尋ねるのだが、悪魔モードに入っていたときに何があったのかよく覚えていないかのように、ぽかんとして私を見る」

「Dojo(ドージョー)」は視覚ベースのAIモデルのプラットフォームになりうる可能性

最近はそんなマスク氏の悪魔モードも出現する機会はあまりないかもしれない。直近、テスラの株価は上昇している。きっかけとなったのはモルガン・スタンレー証券が今後12ヶ月のテスラの目標株価を従来の250ドルから400ドルに引き上げたことである。テスラが自社開発するスーパーコンピューター「Dojo(ドージョー)」の活用によって、時価総額を最大5000億ドル上乗せできると強気の見通しを示した。

ドージョーは自動運転を実現するために、テスラが独自に開発している専用のスパコンだ。路上を走行する車両から送られてくる大量の動画データを取り込み、処理を行っている。自動運転技術という特定の目的のために開発が進められており、自動運転がどうあるべきかの機械学習を過去5年にわたり続けてきている。

モルガン・スタンレーは、テスラ車は単なる乗り物であるということにとどまらず、予測不可能な環境や状況下で生死の決断を下す、センサーに包まれたロボットであると指摘。価格が決まっている(売り切りの)自動車の販売にとどまらない新たな市場開拓が可能になるとし、自動運転サービスのソフトウェア収入が利益率を大きく高める可能性があると分析した。

AWSがアマゾン[AMZN]にとっての成長ドライバーになったのと同様の力がテスラにも働き、ここからのテスラにとっての最大のバリュードライバーはソフトウェアとサービスの収益になるだろう。ドージョーは視覚データを処理するように設計されているため、長期的には自動車産業以外にも応用範囲が広がる可能性がある。例えば、ロボット、ヘルスケア、セキュリティなどの分野において視覚ベースのAIモデルのプラットフォームとなるかもしれない。

大量のデータと研究開発への資金注入で築かれる「テスラの優位性」

テスラの研究開発費、大手自動車3社の合計額を上回る

マスク氏は2024年末までにドージョースパコンに10億ドル以上を投じる計画を明らかにしている。今後、自動運転ソフトウェアの性能がデータ量とそれを処理するスパコンの性能に依存することになれば、この分野の投資で先行しているテスラの競争優位が確立することになる。このことは、テスラが高性能な自動運転ソフトウェアを提供するプラットフォーマーとなりうる可能性を秘めている。

テスラが広告宣伝費に一銭もお金をかけていないという話を聞いたことがある人も多いだろう。その代わりにテスラはどこに資金を振り向けているのか。テスラは研究開発に多額の投資を行っている。他の自動車メーカーと比較するとその違いが際立つ。

2021年と少し古いものではあるが、ビジュアル・キャピタリストの記事「Comparing Tesla’s Spending on R&D and Marketing Per Car to Other Automakers(テスラの車1台あたりの研究開発とマーケティングへの支出を他の自動車メーカーと比較する)」を参考に紹介しよう。

以下は、大手自動車各社が1台の車を販売するのに費やす研究開発費と広告宣伝費を示したものである。既存の大手自動車メーカーが1台あたり400ドルから600ドル程度の広告宣伝費をかけているのに対して、テスラはゼロ。一方、販売1台あたりの研究開発費は2984ドルと、他の自動車メーカーを圧倒している。この額は、フォード・モーター[F]、ゼネラルモーターズ[GM]、クライスラーの3社の合計額を上回る。

【図表1】自動車メーカー各社の販売1台当たりの研究開発費と広告費
出所:各種データより筆者作成

テスラは「持続可能なエネルギー社会を構築すること」を使命として、そのために企業として持てるあらゆる資本を投入している。企業にとって資本をどのように配分するのかは重要な事業戦略である。研究開発費や広告宣伝費にどの程度の資本を振り向けるのかについては、業種によっても企業によっても異なるが、資本配分のバランスにはその企業が何を志向しているのかが見事に表れる。

【図表2】テスラのキャッシュフロー
出所:決算資料より筆者作成
【図表3】テスラの現金保有額
出所:決算資料より筆者作成

2023年第2四半期の決算発表時に開催されたアーニングス・コールにおいてイーロン・マスク氏は自動運転とドージョー「Dojo」について次のように語っている。

自動運転を構築するためには、何百万台もの車から得たデータでニューラルネットを訓練する必要がある。トレーニングデータが多ければ多いほど結果は良くなる。つまり、ニューラルネットでは、100万の訓練例では機能せず、200万ではわずかに機能し、300万では、「わぁ、なるほど、何か見えてきたという感じ」だが、1000万の訓練例を得ると、信じられないような結果になる。

大量のデータに代わるものはない。このデータを収集するために道路を走っているテスラのEV車両は他の企業の合計よりも一桁多い。全体の90%、あるいは非常に大きなシェアを有していると思う。これまでにFSD (Full Self Driving:完全自動運転)のベータ版を使って3億マイル以上を走行した。この3億マイルという数字はすぐに小さく感じられるようになるだろう。すぐに数十億マイル、そして数百億マイルになるだろう。そして、FSDは人間と同程度の性能から、人間よりもはるかに優れた性能へと進化していくだろう。完全自動運転は平均的な人間のドライバーよりも10倍安全であるという明確な道筋が見えている。

テスラは世界でも有数の高性能なスーパーコンピューターを立ち上げ/自動運転技術の向上のために計算能力を大幅に強化

テスラは8月末、3億ドルにも及ぶAIコンピューティングのクラスターを立ち上げた。バロンズの8月29日付の記事「Tesla’s New Supercomputer Accelerates Its Ambition to Be an AI Play Alongside Nvidia(テスラの新スーパーコンピューターは、エヌビディアと並ぶAIプレイヤーとなる野望を加速させる)」によると、このスーパーコンピューターはエヌビディア[NVDA]のH100 GPUを1万個採用しており、世界でも有数の高性能なスーパーコンピューターに仕上がっている。

この新しいスパコンのクラスターを導入することで、自動運転技術をこれまで以上に早くトレーニングするための計算能力を大幅に強化することになる。このことは、テスラが他の自動車メーカーよりも競争力を高めるだけでなく、世界最速のスーパーコンピューターの1つを所有することを意味している。今後は「ニューラルネットワーク」を用いたソフトウェア開発を進めていくことになるだろう。

ニューラルネットワークは生物の学習メカニズムを模倣した機械学習の手法のことで、「ニューロン」と呼ばれる計算ユニットを備えている。人間の脳の中にあるニューロンは電気信号を使った情報伝達を行い、シナプスの同士の結合を促している。このシナプスの結合度合によって、情報の伝わりやすさが変わってくる。ニューラルネットワークではこの結合度合いを重みで表し、つながりを強化することによって認識精度を高めている。

こうした自己強化のメカニズムが確立しさえすれば、後は、大量のデータと大量の計算資源を投入することで人間が作ったソフトウェアをはるかに凌駕するクオリティのものを原理的には作ることが可能になる。つまり、人間よりも安全に走行する自動運転車の実現に向けて大きく進歩する可能性が高まった。さらに、新しいAIの機械学習システムは、自ら情報を摂取し、アウトプットを生成する方法を自ら教え、自らのコードと能力をアップグレードすることさえできる。

マスク氏のバラバラに見える投資や事業は人工知能に向けた壮大な計画の一部

伝記『イーロン・マスク』の著者であるアイザックソン氏は9月6日、過去に編集長を務めていた米『Time』誌に「Inside Elon Musk's Struggle for the Future of AI(AIの未来をめぐるイーロン・マスクの闘いの内幕)」と題する記事を寄せた。

その中で、アイザックソン氏は、マスク氏によるさまざまな新興企業への投資や事業は一見バラバラに見えるが、「人工知能(artificial general intelligence)」、つまりAGIに向けた新時代を切り開こうとするマスクの広範な計画の一部であると述べている。

過去10年にわたり、マスク氏は、テスラ、スペースX、ニューラリンク、X社(ツイッター)、そしてAIなど、技術革新の最前線にあるさまざまな企業の経営に携わってきた。人間の知能の量は横ばいになっている一方、コンピュータの知能の量は、ムーアの法則によって指数関数的に増加している。ある時点で、生物学的頭脳の能力は自己学習型のデジタル頭脳の能力に矮小化されるだろう。「シンギュラリティ(技術的特異点)」である。

X(旧ツイッター)には長年にわたって投稿された1兆以上のポストがあり、毎日5億件が追加されている。それはいわゆる人類の集合知であり、現実の人間の会話、ニュース、興味、トレンド、議論、専門用語の世界で最もタイムリーなデータセットである。

また、テスラ車の走行を通じて受信した1日あたり1600億フレームのビデオを持っている。それは、現実世界の状況でナビゲートする人間の映像データである。これらは物理的なロボットのためのAIを作成するのに役立つ情報の宝となる。マスク氏は伝記の中でシンギュラリティについて「予想するより早く起きるかもしれない」と語っている。彼の目には来るべき未来が映し出されているのかもしれない。

石原順の注目5銘柄

テスラ[TSLA]
出所:トレードステーション
アルファベット [GOOGL]
出所:トレードステーション
マイクロソフト[MSFT]
出所:トレードステーション
メタ・プラットフォームズ[META]
出所:トレードステーション
アマゾン[AMZN]
出所:トレードステーション