最後の介入は2011年、円安阻止目的の介入は1998年が最後
9月14日の鈴木財務相発言などから、円安阻止の為替介入への注目が広がった。日本の通貨当局による為替市場への介入は、2011年11月を最後に、これまで10年以上も行われなかった。さらに、円安阻止の円買い介入となると、1998年6月が最後だったので、実現すれば24年ぶりということになる。為替介入を知る人は少なくなっていると言えそうだ。
そこで、過去の為替介入実績を振り返り、今後の円安阻止介入の参考にしたい。円安阻止の米ドル売り・円買い介入は、既にいつ実現してもおかしくない状況が続いている。
財務省が為替介入実績を公表している1991年以降で、最近のように米ドル/円の5年MA(移動平均線)かい離率が±20%以上に拡大したのは4回あったが、そのうち3回は介入が始まっていた(図表参照)。実際に円買い介入が行われた場合、後述するように、1日で数兆円といった大規模になる可能性が高いのではないか。日米協調介入の可能性は低いものの、一方でゼロということでもないように思われる。
最後の為替介入と最大の為替介入
日本の通貨当局によるこれまでの「最後の為替介入」は2011年11月4日に実施された米ドル買い・円売り介入だ。当時は、1米ドル=75円まで進んだ米ドル安・円高阻止の介入局面だった。以来、日本の通貨当局による為替介入は10年以上も行われなかった。
ちなみに、これまでのところで米ドル最安値・円最高値は2011年10月31日に記録したものだったが、この日に行われた米ドル買い・円売り介入は8兆円に上り、1日の為替介入額としてはこれまでの最高となった。
円安阻止介入の記録
上述のように、最後の為替介入は円高阻止の米ドル買い・円売り介入だったが、今回注目されているのは円安阻止の米ドル売り・円買い介入だ。そのような「円安阻止介入の最後」となると、1998年6月17日まで遡る。要するに、円安阻止の円買い介入は、24年以上も行われなかったわけだ。
1998年6月17日に行われたこの最後の円買い介入は、「最後の日米協調介入」でもあった。当時、米景気は回復局面にあり、FRB(米連邦準備制度理事会)は金融引き締めスタンスをとっていたことから、それと逆行する米ドル売り協調介入への参加に対しては否定的と見られていたため、実現したことは「サプライズ」と受け止められた。ただ、そんな「サプライズ介入」でも円安には歯止めがかからず、結果としてその後米ドル高・円安は同年8月にかけて147円まで進むところとなった。
日米協調介入は、当時の円安阻止における「最後の切り札」といった位置付けだったかもしれない。それが実現しても円安に歯止めがかからないと、その後はあたかも「万策尽きた」かのように為替介入も行われなくなった。それでも、上述のように同年8月、それまでの「何をやっても止まらない米ドル高・円安」は、特に何もやらない中で結果として終わったのだが、ある意味で相場らしい結末とも言えそうだ。
さて、この円安阻止局面で、1998年4月10日に行われた米ドル売り・円買い介入は2兆6,000億円にも達した。これは1日の米ドル売り・円買い介入額の最高記録であった。陣頭指揮をとった通貨政策の責任者である財務官は、当時「ミスター円」と呼ばれ世界的に著名な財務官僚だった榊原英資氏であった。
その他
現在の通貨政策の責任者である神田財務官は、2003年1月~2004年3月にかけて1年以上もの長期に渡り比較的小規模の米ドル買い・円売り介入を続けた円高阻止局面での、為替政策担当幹部の1人だったため、その意味では為替介入の実務に通じた経験者といっても良いだろう。
また、日米協調介入の最後は、上述のように1998年6月だったが、その後G7(先進7ヶ国財務相会議)協調介入としては、2000年9月にユーロ安阻止として、また2001年9月には、いわゆる「9・11」、米同時多発テロ事件を受けた米ドルを防衛する目的での実施がある。