G7声明と日銀金融政策の関係

少し古い話から始める。1999年9月のG7(先進7ヶ国財務相会議)共同声明では、「日本の円高懸念を共有する」との言及が盛り込まれた。当時、このように特定の通貨について言及するのは異例とされたが、それに大きく関わったと見られたのが、共同声明作成に影響力の大きいG7財務相代理、当時の黒田財務官だった。この「円高懸念」への言及は、結果として日銀の金融政策への「制約」になった可能性があった。

日銀は1999年1月、当時先進国史上初のゼロ金利政策を決定、この「円高懸念」が共有された1999年9月のG7声明が出た頃もそれを継続していた。ただ日銀内部には、FRB(米連邦準備制度理事会)が、既にこの年の夏から利上げに転換したことなどから、日銀としても金融政策の転換、要するにゼロ金利解除を急ぐべきとの考えがあった。それはこの「円高懸念の共有」声明で事実上不可能となっただろう。

G7で日本の円高懸念が共有された中で、円高をもたらしかねない日銀のゼロ金利解除といった「利上げ」は、普通に考えたら出来ない。結果的に、日銀のゼロ金利解除は2000年8月まで待たされることとなった。ただその頃は、既にITバブル崩壊の株暴落が始まっていた。その中でのゼロ金利解除という利上げは、株暴落の「第二幕」トリガー役になるといった具合に、結果的には最悪の政策判断となってしまった。

あれから20数年過ぎて、現在の日本は「円安懸念の共有」をG7に求めたいほどかもしれない。ただその場合のG7各国の反応は、日銀が金融緩和を継続している中での円安は自然であり、円安を止めるためにはまずは金融緩和の見直しが前提という理屈になるのではないか。

客観的に見て、そんな日銀の金融緩和は、20数年前財務官だった現在の黒田日銀総裁が主導しているようだ。大物財務省OBでもある黒田総裁の緩和路線を制約する可能性のある「円安懸念の共有」を、果たして財務省がG7内で根回しするだろうか。黒田氏の立ち位置が変わったことで、財務省と日銀の強弱関係も変わっているように見えなくない。

それにしても、黒田氏の役回りは22年前も今も、結果として日銀の金融緩和継続を促すものになっているように見えるが、それは偶然の結果だろうか。それとも、2つの局面とも、金融緩和継続にこだわる理由があったのだろうか。

1999年当時の日銀の金融緩和、ゼロ金利政策は、1999年1月にかけての長期金利暴騰に歯止めをかける目的で行われたものだった。巨額の政府債務などを理由とした日本国債暴落不安説は長い間くすぶり続けてきた。その意味では、金利暴騰、国債暴落回避が黒田総裁の金融緩和継続の目的ということだろうか。

いずれにしても、最近はそんな黒田緩和が、円売り投機の標的になっているといった構図はありそうだ。