地震や台風など天災に対しては準備や心構えをしているつもりであっても、いざとなると右往左往してしまうこともありがちです。
「人生の最期」も必ず来るとわかっていても、なかなか万全とはいえないことが多いのではないでしょうか。実は最近、身近なところで不幸があり、あらためて考える機会となりました。
日頃FP という立場から、ライフプランニングの大切さをお話しすることが多いのですが、一生涯のマネープランというと、まずは「生きる」ことにかかるコストについて考えます。また万一に備え、余裕資金や相続のことも事前の準備についても考えるようにお話します。そもそも日本人は「備え」は得意な方なので、多くの方が保険に加入していますし、相続について遺書を準備される方も増えています。
それでもいざ「そのとき」となるとオロオロしてしまうことが多いのではないでしょうか。
相続やその後の遺族の生活というのは「そのとき」のちょっと後になってからくることです。つまり少し精神的にも落ち着いた後で考えられることなのですが、「そのとき」には、遺族は深い悲しみとショックの中にありますから、放心状態になってしまうことも少なくないでしょう。でもそんな時に事務的な、時間に追われる、そして都度判断が必要とされる手続きが山のように出てきます。
「生きるコスト」と「その後のコスト」の準備はしていても、「そのとき」のプランまではなかなか意識されていないということはありませんか?
人が亡くなると、その方の預金口座等は凍結されます。もし、ご家族の生活費を全て故人の口座頼みにしているような場合、生活費が全て引き出せなくなる、ガス・水道・電気といった生活基本料金が引き落とせないといった事態にもなりますので、くれぐれもご注意ください。
また、「故人を送る」祭式関連も、宗教に則ったものから無宗教、最近ではその他にも様々な方法がありますし、費用も大きく異なってきます。
特に故人の遺志がない場合はそれを全て残された家族が、決めていかなければなりません。それも大変短い時間の間に。
人生の大きなイベントのうち、出産や結婚式などは、「いつ」が決まっていて、それにあわせて時間をかけて、楽しみながら準備ができるものですが、「最期のとき」は予測不能な上、前もって準備することには抵抗を感じてしまうものです。
最近はそうした自分自身の最期のときまで、自分でプロデュースしておきましょう、といった特集を目にすることも多くなりました。
「最期まで自分らしく」というだけではなく、遺された家族のためにも、「どこで」「どんなふうに」「いくらくらいのコストで」など自分自身で具体的にプランニングをしておくことは、ライフプランニングの総まとめとしても大きな意味をもつと思います。