◆前回「デンマークでは床暖房もタダ」と書いたら、デンマーク在住の方からお便りをいただいた。「我が家も床暖房仕様にしているが、それに伴うfjernvarme(地域熱供給)の料金がかかっている」とのこと。たまたま僕が話を聞いた人が住むアパートメントでは、そうした光熱費の一部が家賃込みになっていて、その人は負担している実感がなくて「タダ」だと勘違いしたのかもしれない。ひとつの話を鵜呑みにして、すべてがそうであるかのようなことを書いてはいけないと反省した。
◆デンマークの続きである。コペンハーゲンのおしゃれなエリア、ノアブロ地区にあるアシステンス教会墓地に足を運んだ。墓地と言うより緑豊かな公園の佇まい。実際に、犬を連れて散歩している人やジョギングしている人などが結構いる。ここにはアンデルセンをはじめとして多くの著名人が眠る。僕のお目当てはキルケゴールの墓であった。セーレン・オービエ・キルケゴールは19世紀に生きたデンマークの哲学者。実存主義の創始者として知られ、その系譜はサルトルらにつながる。
◆実存主義が批判したのは本質主義。本質主義は、例えば、「人間の本質はこれこれこうだ」と普遍的・絶対的な真実が存在する、と考える。それに対して実存主義は、「人間の本質がどうか知らないけど、俺は俺だ」みたいな、実際に存在する人間ひとりひとりの「個」にスポットを当てるものだ。僕が若いときには浅田彰『構造と力』がベストセラーになるなどポスト構造主義が流行って、実存主義はすでに古くさいものになってしまっていたけど、それでも現代思想のルーツであることに違いはない。
◆僕はよく、日経平均株価の本来あるべき値は○○円だ、みたいなことを述べる。実際の相場がその値に届かないと株式市場が間違っている、という。しかし、実存主義の考えに照らせば、相場に「本質的な値」などなく、その瞬間瞬間に市場でつく値がすべてである。トランプ大統領の発言に振り回されるのは愚かである、冷静にファンダメンタルズを見るべきだ、と僕はいう。しかし、不安に怯え、悩むのが人間であり、そうした人間心理の集積が株式市場だとすれば、僕が考える「本来あるべき値」からかけ離れた株価がつくことだって当然のようにあるだろう。
◆キルケゴールの代表的著作は『死に至る病』。「死に至る病とは絶望である」という言葉が有名だ。いまの株式相場は悲観に満ちあふれている。絶望の一歩手前、すなわち死に至る病の一歩手前だ。こういうときこそ楽観的になるべく務めよう。「悲観は気分、楽観は意思」(アラン)である。キルケゴールも言っている。「絶望は罪である」と。