金融市場を翻弄した「黒田サプライズ」
黒田日銀総裁の金融市場への「デビュー」は鮮烈だった。日銀総裁として初めて参加した2013年4月3日の金融政策決定会合で「バズーカ砲」に例えられた大胆な金融緩和を決定、米ドル/円はその日のうちに3円以上と大幅な円安となった。
市場の予想を覆す大胆な政策決定といった「黒田サプライズ」の決定版は、「バズーカ2」となった2014年10月31日の金融緩和決定だろう。これを受けて米ドル/円はやはりその日のうちに3円以上もの大幅な円安となった。
この金融緩和が「黒田サプライズ」の決定版となったのは、最初の金融緩和から1年半で約20円も円安が進み、すでに円安の「行き過ぎ」懸念が出始めていたところで、さらに大きく円安が進む可能性のある強力な金融緩和を決定した点にあった。
意図的に通貨安誘導することは、近隣の輸出競合国に対して自国の競争力を有利にするための「近隣窮乏化策」として国際ルール違反に位置付けられている。その意味では、「バズーカ2」はルール違反の懸念のある「禁断の緩和」であり、それは金融市場の常識ではありえないことだった。
ところが、かつて通貨政策を担当する財務官も経験し、それを知り尽くしていたはずの黒田総裁が「ルール違反」とされかねない「禁断の金融緩和」を行ったことこそ、金融市場を大いに驚かすところとなったわけだ。
介入せず発言だけで円安を止めた黒田総裁
二度にわたって大きく翻弄された金融市場は、黒田総裁に対して「油断できない」との思いを強くしたことだろう。その結果、黒田総裁の言動に対しては素直に従うほうが良いとなったのではないか。それを強く印象付けたのが、それまで黒田総裁の金融緩和が主導した形で大きく進んだ円安の幕引き局面だった。
2015年6月、黒田総裁は「普通ならさらなる円安にはならない」と発言。すると米ドル/円は急激に円高へ振れた。円安を誘導していると思っていた黒田総裁の、さらなる円安を否定する発言に金融市場が意表をつかれた結果だっただろう。そしてこの黒田発言で結果的に円安は終了するところとなった。
それまでの数年、円買い介入などで苦戦していた円安阻止を、黒田総裁は介入で資金を使うこともなく、発言だけで止めたのだった。当時の金融市場が、いかに黒田総裁のコントロール下にあったかを示すエピソードではないか。以上のように見ると、日銀という金融政策当局と金融市場の間でも強弱関係の影響はかなりありそうだ。
「日銀サプライズ」は期待と逆の結果に=総裁交代前からの変化
黒田氏の後継で、植田日銀総裁が就任したのは2023年4月。2022年から世界的に広がったインフレを受け米国などが大幅利上げに動いたのに対し、なおデフレ脱却を目指す方針が続いていた黒田総裁率いる日銀が金融緩和を維持したことで金利差が急拡大し大幅な円安となる中での日銀総裁交代だった。
総裁交代が間近に迫った2022年12月の金融政策決定会合で、黒田総裁はそれまで行っていた長期金利上昇抑制策、YCC(イールドカーブ・コントロール)の見直しを決めたが、それに対して為替相場ではその日だけで最大6円以上の急激な円高が起こった。
「黒田サプライズは相場を大きく動かす」ことを再確認したようだったが、それが黒田総裁の想定に沿った結果だったかといえばどうだろうか。「日銀サプライズ」は、むしろ日銀の期待と逆の結果をもたらしかねない、それが植田氏へ総裁が交代した頃の状況だったのではないか。
「サプライズ」が否定された植田日銀=黒田日銀と正反対の状況
2024年7月末、日銀が利上げを決めると、間もなく世界的な株価暴落が起こり、「令和のブラックマンデー」と呼ばれた。それは、日銀利上げが予想外「サプライズ」だった影響が大きかったとして、日銀は世界的株暴落の「戦犯」のようにされた。
こうした中で、「植田日銀」にとって「サプライズ」は基本的に避けるべきとなった。金融市場にとってのリスクである政策サプライズの可能性が極めて低い状況は、金融市場からするとある意味で好き放題にできるということになるだろう。その意味では、当局と市場の強弱関係は逆転したのではないか。
「黒田サプライズ」が金融市場を翻弄し、一般的にも大喝采を浴びた時代。しかしその「サプライズ」は、今では「悪」のように扱われるようになった。「黒田日銀」から「植田日銀」にかけての変化は、総裁交代だけによるものではなく、交代前から起こっていたと考えられる。
