◆米国でベストセラーになった話題の経済書、トマ・ピケティ『21世紀の資本』が翻訳され日本語版が出版された。なにしろ英語版で700ページ近く、日本語版でも600ページを超える大著である。読みこなすのは相当骨が折れるだろう。だから要約本がいろいろ出ている。「1時間でわかる21世紀の資本」「ピケティ入門」「かんたんガイド・21世紀の資本」etc. これからますます、この手のダイジェスト版が百花繚乱のごとく出版されるのは想像に難くない。

◆要約本は要約を伝えるのが役目である。「要するに、何が書いてあるのか」を述べたものだ。『21世紀の資本』の主張は、資本の収益率が所得の成長率を上回るため、格差が拡大する、というものである。ただこれだけのことをいうのならば700ページも必要ない。ピケティがすごいのは、200年以上もの期間にわたる世界主要国のデータを集めて、その事実を実証してみせたことにある。これは経済書であると同時に歴史書でもあるのだ。

◆小欄第25回で芥川賞作家の磯崎憲一郎氏の言葉を紹介した。「この小説で言いたかったことは何か?」と聞かれて、簡単に答えられるのならば、それを一行で書けばいい。ジミー・ペイジのギターソロは20分くらい続いたりするが、その20分を体験することで生まれてくるものがある。(中略)小説も、その分量を読むという行為を通してしか生まれえないものがあるはずだ、と。ピケティの『21世紀の資本』にも同じことが言える。この分量を読み終えた時に残る読後感 - そこから立ち上る「何か」があるはずだ。理屈やデータだけでない、「真実」の重みのようなものかもしれない。

◆とはいえ、厚いには厚い。要約本のニーズがあるのは確かだろう。僕は要約が苦手である。これだけテレビだラジオだ講演だと、年がら年中、人前で話す仕事をしているがちっともうまくならない。話下手というのではない。口は達者である。舌が回るがゆえに余計なことを話し過ぎるのだ。なかなか「要するにこれ」という肝心のポイントにたどりつかないのである。

◆先日、某所で開いたセミナーでのこと。予想を超える多くのお客様にご来場いただいたため、用意した資料が足りなくなってしまった。お客様はお怒りである。
「ただいま大至急で印刷しておりますので、あと1時間ほどでお手元にお配りできる予定です。」
「あと1時間もかかったら、お前さんのセミナーが終わってしまうじゃないか!」
「ご心配なく。前置きに1時間かかりますから。」

マネックス証券 チーフ・ストラテジスト 広木 隆