◆「子供より親が大事、と思いたい」 太宰治『桜桃』の書き出しである。「自分が老人になってから、子供に助けられ、世話になろうなどという図々しい虫のよい下心は、まったく持ち合わせてはいない」という文章があとに続く。

◆日本の年金制度というのは世代間の相互扶助である。現役世代が働いて納めたおカネを年金受給者に支給する(これを賦課方式という)。先日発表された財政検証では、年金給付水準を表す所得代替率(現役世代の平均的な手取り額に対する年金額の割合)は将来、政府公約の50%に満たない可能性がかなりあるということが示された。

◆こうしたことを踏まえて、公的年金の給付水準を物価動向にかかわらず毎年度抑制する仕組みが来年度に導入される(いわゆるマクロ経済スライドの見直し)。年金を受給している高齢者にも負担を分かち合ってもらい、年金制度の持続性を高める狙いである。簡単に言えば、現役世代の「払い損」感覚を少しでも和らげようということだ。自分たちがいざ年金を貰う段になって助けてくれるひとがいないというのでは、誰も年金保険料を納めようとは思わないからだ。

◆最近、非常に考えさせられる論考を読んだ。現役世代にとって、支払った金額よりも受け取る金額が少ないということは、自分たちの上の世代よりも下の世代が少ないということに他ならない。それは自分たちの親が産んだ子供の数(自分たち)が少ないことであり、さらに自分たちが産んだ子供の数が少ないということである。自分たちは、多くの親たちに育てられ手厚い育児を受けてきた。一方で親としての自分たちは、少ない子供しか育てていない、世代全体として低い育児負担しかしていない。年金の受給額が下がるとしても、それだけを見て不公平と言えるのか?

◆親の数は選べないとしても、子供の数は世代が選択する問題。であれば、現代の日本において子供を多く生むことが難しい状況を打破することが問題解決の糸口になるのではないか、とその記事は説く。

◆街頭に艶やかなサクランボが出並ぶ季節になった。種を吐きつつ、難しい問題に鈍い頭を巡らせる。桜桃忌せめて色付きシャツを着て(荒井玲子)

マネックス証券 チーフ・ストラテジスト 広木 隆