◆昨日の小欄で、「(ノーベル物理学賞を受賞した)中村教授は日本社会を否定し米国社会を選んだのである。米国の環境がノーベル物理学者を生んだ」と述べたところ、以下のようなご意見ご批判をいただいた。
◆「中村教授の受賞は、日本の日亜化学での業績に対するものである」「アメリカの研究成果で受賞したものではない」「他二人の教授は、国内での基礎研究の成果ではないか」「米国の環境が中村氏のノーベル賞に結び付いたかのように結論付けるのは、ポイントがずれている」「あまりにもアメリカ礼賛的すぎではないか」etc.
◆ご指摘はごもっとも、と同意しつつ、訂正はあえてしない。屁理屈に聞こえるかもしれないが、「米国の環境がノーベル物理学賞をもたらした」とは書いてない。物理学者・中村修二という一個人を世界レベルの研究者に育てたのは米国の環境だといいたいのである。仮に中村氏が日本に留まっていたとしても、投稿者らのご指摘の通り、日亜化学時代の業績が評価されてノーベル賞は受賞できていただろう。しかし、その後の中村氏がノーベル物理学者にふさわしい研究者として大成したかどうかはわからない。
◆一昨日の日経新聞に、「日本の若者は安定志向が強く、起業意欲は希薄」という記事があった。ある調査で18~30歳の1千人を対象に聞いたところ、「起業に関心が無い」という回答が日本は58%を占め、世界13カ国で最も高かったという。2014年版中小企業白書は起業希望者数が約84万人と1997年から半減したと指摘。これを受けて経済産業省は起業家教育のために5億円の予算を盛り込んだ。これまでは大学・大学院向けが中心だったが、今後は小中学校や高校向けの施策にも注力する方針という。
◆起業家というのは教育されて現れるものなのだろうか?中村修二・カリフォルニア大サンタバーバラ校教授はこう述べる。「米国には、失敗した人間がリベンジできるシステムがある。失敗を恐れず、何度もチャレンジできるシステムがなければ、いくら日本でベンチャーを振興しようとしてもムリなのではないだろうか」
別にアメリカを礼賛しようという意図はない。社会のシステムが決定的に違い過ぎるという現実を直視しているだけである。
マネックス証券 チーフ・ストラテジスト 広木 隆