◆小学生の娘の質問にうまく答えられないことがある。昨日もそうだった。
「パパ、今日は日本ができた日なんでしょ?いつ、誰がつくったの?」
「天皇陛下がおられるだろう?愛子さまのおじいちゃんだ。その天皇の一番初めの天皇 - 神武天皇というのだけど、今日はその神武天皇が即位した日なんだ」
「じゃあ神武天皇が日本をつくったの?」
「まあ一応、そんなところだ」
「ふ~ん。ところで、即位ってなに?」
「即位っていうのは天皇になるってことだよ」
「誰が天皇にしてくれたの?」
「ん?自分でなりますって言ってなったのかな」
「自分でなれるものなの?じゃあ、私もなれるの、天皇に?」
「なんてことを言いだすんだ、なれるわけないだろ」
「どうして?だって神武天皇は一番初めの天皇で、それより前に天皇は誰もいなかったから、自分で今日から自分が天皇だって言って、天皇になれたんでしょ?」
「いや、それはさ、お話の世界のことだから、あんまり突き詰めて考えるなよ」
「お話の世界?日本ができた日っていうのはお話の世界のことなの?」
「あ~、パパ、ちょっと仕事があるから、またあとでね」
◆「建国」の歴史で日本ほど長い歴史を有する国はない。「中国四千年の歴史」と言われる中国は、漢民族と北方民族の争いの歴史であり、どれをもって「中国」という国家の「建国」とするか定められない。現在の建国記念日である「国慶節」は、毛沢東が中華人民共和国の成立を宣言した日で、わずか65年ほど前だ。世界の建国記念日を見ると、米国の独立記念日をはじめ、独立や革命などで国家の主権が新しく樹立された日とするものが圧倒的に多い。
◆陸続きの大陸ではしょっちゅう国と国との紛争が起こり、国家という枠組みの変遷が激しかったという地理的要因があったのは事実だ。そうした諸外国と島国の日本は違うという見方もあるだろう。しかし、戦後70年が経つ今日、いまだに神話に建国の紀元を置いている - 少なくともそれを祝日として復活させ祝う - 日本は、真の主権国家と成り得ているのだろうか。
◆欧米諸国の多くは、それまでの統治者から独立を勝ち取り主権を確立したという歴史がある。日本も戦後GHQによる占領支配から解放されたという歴史はあるが、その「主権」は勝ち取ったものではない。だからいまだに「建国」という概念があいまいなのだ。日本に近代的な資本主義が根付かない背景はそこにあるのではないか。資本主義というのは、収奪のシステムである。支配する側が、支配される側を搾取していたマルクス型の資本主義を経て、資本が自由に国境を越えて飛び交うグローバル資本主義へと発展してきた。支配・被支配の構図を国家レベルで打ち壊したという歴史と自覚のない国に、近代のグローバル資本主義が馴染むはずがない。
マネックス証券 チーフ・ストラテジスト 広木 隆