これは「出井さんの思い出」と云うよりは、「出井さんとの思い出」になるのですが、2005年3月にソニーのCEOを退任されるとの発表があった直後のことは良く憶えています。出井さんはまだ海とも山とも分からぬインターネット証券の最初の理解者になってくださいました。そしてどこの馬の骨とも分からぬ松本を信じてくださいました。だからマネックスが生まれた。その恩と想いを当社の中にずっと残していきたいと考え、発表直後、その3月の当社取締役会で、毎年もっともイノベーティブな活動をした社員(チーム)を表彰する「イデイ・アワード」なるものを、正式に取締役会決議をして制定しました。当社グループの中で、正規の機関決定をして作られた賞はイデイ・アワードただひとつです。
因みにイデイ・アワードはそれ以来毎年年末に向けて自薦・他薦でノミネートが行われ、出井さんが直接それら候補のしたことの説明を読んで、確認され、自ら優勝者を選び、そして当社年末のBo-Nen-Kai(当社グループはグローバル企業で、様々なアイデンティティの社員がいるので、年末には世界中の各社で、クリスマスパーティではなく、Bo-Nen-Kaiなるものを催しています)に直接出席され、アワードを受賞者に授与されてきました。
さて、話を2005年春に戻すと、イデイ・アワードの取締役会決議の次に取り組んだのは、僭越甚だしいのですが、出井さん慰労会を催すことでした。実施日はCEO退任の発表から間もない4月1日。私は出井さんにどうしても相談したいことがあります、と伝えて、4月1日の夕方に銀座の或る店に来ていただくことになりました。
その店は間接的知り合いの店で、守秘が確保出来る場所でした。当時出井さんも良く付き合いのあられた某テレビ局の方々数名にもヘルプをお願いして、私とマネックスの仲間たち、そして私が仲良くさせていただいている或る歌手の方。総勢15名くらいだったと思います、着ぐるみを着て、店で待機しました。仕事の話は一切しない。ただ単に楽しく会話して飲む。それだけの企画でした。出井さんは新入社員向けへの訓示をされた後に、お店にいらっしゃいました。私以外の着ぐるみ全員は店の奥に隠れて、私ひとりで出迎えました。
店は路面から地下に向けて真っ直ぐ延びる短い階段の先にありました。私は階段の下で、路面から良く見えるところで、白クマで待っていました。白クマは、LINEのスタンプにあるような、デフォルメされた単純型の白クマでした。出井さんはまだ明るい路面から階段を降りてきましたが、階段の先にいる白クマを見て、ちょっとギョッとしたようでした。私「お待ちしておりました」、ペコリ。出井さんは普通な感じで店に入っていきました。出井さんはお店の中のソファーに座り、私はテーブルを挟んで向かいの椅子に座りました。
「今日はありがとうございます。色々とご相談したいことがあります」、白クマがきちんと座って真面目に話します。出井さんは私を直視しようとせず、私から視線を逸らし、店の壁に掛かった絵を指さしながら、「松本さん、中々いいお店だねぇ」などと仰いました。後から聞いたのですが、出井さんは、松本は遂にキレたか、と思われていたそうです。しかしそうは云わずに、白クマの私に対して、ごく普通に対応されていました。すると店の奥から「森のくまさん」の歌声が始まり、着ぐるみの動物が10体以上出てきました。銀座で出井さんが松本に会った、と云う歌詞。そうして飲み会が始まりました。
仕事の話なし。単に楽しく会話して飲む。短い会でしたが、最後に出井さんはMISIAさんの「Everything」を歌い、着ぐるみ動物15体とも肩を組んで歌ってくださいました。本当に楽しかったです。出井さんはお帰りになり、着ぐるみ隊は初めてチャックを開けたりして、汗だくで、みんなヘトヘトでした。すると店に電話が入りました。出井さんからの伝言。「今日は元気をもらった。ありがとう!」、伝言を店の中のみんなに伝えると、疲れ果てていた着ぐるみ動物たちが、うぉおーー!と喝采をあげ、疲れが吹き飛び、また一杯したのでした。
出井さん、こんな子供じみた企画に付き合ってくださって、そして怒って帰ったりしないで、本当にありがとうございました。でも私たちは真剣に、本気に、その会を出井さんのために考えたのです。そして出井さんはそれを受け止めてくださった。しかもこれは、世界中の注目を浴びていた、経営者出井CEOの時期です。あぁ、出井さん、カッコいいな、優しいな。出井さんのことを思うと本当にキリがありません。